人生の曲がり角

新宿生まれ新宿育ち、ノリで沖縄移住。フリーライター。

DVを終わらせたいのなら、今すぐ離れなさい。

ドメスティックバイオレンスという言葉を聞いたことはありますか?

 

よくDVといわれているドメスティックバイオレンスですが、肉体的暴力だけではなく精神的な暴力もこのDVに当てはまります。

 

被害者の多くは女性ですが、男性も被害を受けている方はいます。
精神的暴力は目には見えづらく体に傷が付かない分、周囲は気付きづらく、そしてハッキリとDVを受けている・しているという自覚が持てないのも特徴的です。

 

かといって肉体的暴力が目に見えやすく周囲も気付くのかといわれると、そうでもありません。
人前で服を脱ぐことはほとんどありませんし、ましてや冬場などの厚着をする時期であれば顔以外の箇所が人目に触れることはありません。
また「また殴られたら…」という恐怖心から、声を上げて助けを求められる人はほとんど居ないのです。

 

前回の少年院の話に引き続き、なんだか重い話題になってしまいました。
なぜかというと、かくいう私もDVの被害に遭ったことがあります。
トータルで10年間、2人の男性から肉体的暴力と精神的暴力を受けてきました。

 

私に会ったことのある人、私を知っている人からすれば信じられないと思います(笑)
そんな片鱗も見せませんでしたし、何より陽気でお喋りな「サンバとか踊ってそうだよね!」と言われてしまうような性格なので。

 

ですが、私もその10年間は助けを求めることはせず、何よりそんな異常事態を異常とも感じられないほど麻痺していました。でも心のどこかで【おかしい】ということは何となく分かっていたのです。

 

今日は現在進行形でDVの被害に遭われている方へ、そして自覚がありながら暴力をやめられない人たちへのメッセージです。

 

f:id:Stella-Lee:20180226005805j:plain



私は昔から完全な一目惚れ体質で、恋愛至上主義者でした。
今は少し違いますが、昔は「かっこいい!好き!」と感じればそう思った瞬間から相手に気持ちを伝えずにはいられず、仕事も学業も友達も放り投げて、とにもかくにも彼のことで精一杯になってしまうような女でした。

 

さらに面倒を見るのが大好きで、朝起きてから夜眠るまで全部をしてあげたい。
着替えも洗濯もご飯の用意も後片付けも、、、とにかく全部してあげたい。
プラスアルファ彼以外のことは見えなくなってしまうので、よく言えば一途で健気ですが、都合よく使うには最高の女です。

 

自分なりにDV男に2連チャン引っかかった理由を考えたときに、ひとつだけ「これだ!」と確信の持てることがありました。

 

私は、責任感がハイパー強いのです。

 

そんな私が初めて男性とお付き合いしたのは13歳のとき、7歳年上の彼でした。
当時中学生の私には毎日バリバリ働いてかっこいい車に乗ったちょっとヤンチャな彼が、この世で1番のイケメンに見えていました。

 

ですが、彼が私の人生のファーストDVです。

 

お付き合いを始めて2年ほど経ったころ些細なことで言い合いになり、みぞおちにかかと落としを食らいました。
ファーストDVにしてはかなり重めの、人生初うめき声を出す痛さでした。

 

それからケンカになっては殴る蹴るを繰り返す彼でしたが、別れたいと思うことはありませんでした。

 

なぜなら人生で初めてお付き合いした人だったので、それが異常なのか正常なのか判断するものさしすら持っていない。
反抗期マックスだった私は親にも友人にも相談できず【好きな人と付き合う】ことがどういうことなのかも分からず、ただただ毎日をのらりくらりとやり過ごしていました。

 

ひとつ救いだったのは、彼の暴力が日常茶飯事ではなかったこと。
ケンカ・言い合いという限られたときにだけ暴力を振るわれましたが、それ以外の時間は本当にただの普通の人でした。


言葉の暴力はほとんどなく、殴ったり蹴ったりするだけ。
その軽めの暴力(私としては軽めと思ってしまいますが、決して軽くありません。普通に犯罪なので、それぐらいならDVじゃないとかそういうことではありません。)が私の感覚をより麻痺させていきました。

 

そして5年ほどお付き合いをし、18歳になった私は他の人とも遊びたい!と彼にお別れを言いました。
もちろんそんな素直な気持ちは言わずに別れましたが、正式にお別れするまでに半年ほどかかりました。

 

逃げるように次の彼とお付き合いを始めたのですが、その人もまたDV(笑)
笑い事じゃないです。ある意味、引きが強すぎて自分で自分を笑ってしまいます。

 

次の彼は3歳年上で、周囲の友達もお互いに知り合いがいるほど昔から仲のいい関係でした。
元カノの話なんかは色々聞いていましたが、DVをする人というのは知りませんでした。

 

彼もまた些細なことで暴力を振るうようになったのですが、1人目の彼とはレベルの違う暴力でした。
ライオンの檻に突然投げ込まれたような暴力で、お付き合いしていた5年間で計10本の骨を折りました。
頭からは血を流し、模造刀が折れるまで殴られ、縛られて1時間以上も蹴られ続ける。
そこへ更に罵詈雑言という何重もの暴力が降り注いできました。

 

1人目の彼の暴力を軽めだと言えるのは、2人目は言い合いや喧嘩に関わらず、自分の精神状態によって暴力を振るうからです。
楽しく話していたかと思えば、私の一言で態度を一変させ暴力を振るい始める。
その一言は「このテレビ面白いね、夜ご飯はなに食べようか?」なんていう他愛もない一言です。

 

時間は1時間も2時間も経っていたのに、ほとんど記憶がない。
連続的な記憶はほとんどなく、断片的にしか思い出すことができません。

更に暴力を助長させたのは、私が言い返すことでした。
負けん気は強いし、我も強い。
散々殴られて血も出てるのに「やれるもんならやってみろ!」なんて売り言葉に買い言葉で応戦。
これに火が付き雨あられで暴力を振るわれ、そしてまた「くだらないことで暴力振るうなんて弱い男だね!」なんて言っちゃう。

 

ここで泣いて許しを請うたら、違っていたと思います。
嘘でいいから「私が悪かった、これからは気を付けます」って言えばいいものを、悪くないものを悪いなんて言えるか!となってしまうわけです。


ただ黙って殴られたり、言われた通りに謝ったり、そんなことをするぐらいなら暴行で死んだ方がマシでした。
例えどんなに好きな人にでも、自分に嘘をつくことだけはできなかった。

なんでそこまでして付き合い続けるの?って思いますよね。私も今ならそう思います。
DVの怖いところってここかなと思うのですが、要は共依存しているんです。

私は彼の暴力に怯え、警察に行ったり実家にかくまってもらったりしても、彼からの暴力から逃れられるとは思えませんでした。
更に暴力を振るわないときの彼は底なし沼のように優しい。
それは暴力を振るうときとの差がそう思わせているだけで、決して底なし沼のように優しいわけではない。分かってはいても、体が震えて傷だらけになっている状態で抱きしめられると、その錯覚に身を任せる他に選択肢はありませんでした。

そして彼は、私だけが生きる意味なのです。

この女、盛大に勘違いしてやがるwwwって感じですけど、笑うのは一旦やめて真面目に考えてみてください。

DVをする人は基本的に自己肯定感の低い人です。自分を無条件に認めたり愛することができない。肯定するよりもむしろ、ずっとずっと自分のことが大嫌い。
そんな自分を好きになって愛してくれるのは、彼女という存在だけなのです。

付き合い始めて最初は全てが完璧で、彼女といるときの自分もどんどん好きになる。
でもある日、彼女と意見の食い違いがあったり価値観の違いを感じたりする。そんなものは付き合っていく中で当たり前にあることで、普通なら折り合ったり歩み寄ったりと努力をしますよね。

ところがDVをする人は【どんな手を使ってでもねじ伏せないと】と思うわけです。
彼にとって彼女は、自己肯定感を守るために欠かせない存在です。
彼女が自分と違うことを思ったり感じたりするのは、自己肯定感を脅かされることにもなる。
だから力を使ってでも自分の思う通りにしないと、自己肯定感が守られなくなってしまう。

寂しいなぁって、ただそう思いました。

 

今DVを受けている人も、している人も頭のどこかで「こんなはずじゃない」ことを理解していると思います。
まるで何かに捕らわれたように、脚に何十にも鎖が巻きついて離れない。
逃げたいのに、やめたいのに、こんなはずじゃないのに、どこへ行ってどうしたらいいのかも分からない。

 

なので私は4月のまだ寒い日、深夜3時に裸足にパジャマで家を飛び出し、公衆電話で警察に電話をしました。

その時もどうしたらいいのかなんて、分かりませんでした。

 

その後のことはまた別の機会にお話ししますが、彼と私は手紙で数年間やり取りを続けました。
この時代に手紙?!って感じですが、勢いでサササーっと書けてしまうラインやメールよりも、手書きの文字は冷静になって書くことができました。

 

最終的にはお別れして別々の人生を歩むことになりましたが、私が今も彼に対して思うことは「自分を愛して、大切にしてほしい」ということだけです。
恨みも、憎しみも、後悔の気持ちも、ありません。

 

元々は大好きで大好きで、仕方のなかった愛する人です。
暴力が始まってすぐの頃「自分にも好きになった責任がある」とよく自分自身に言い聞かせていました。
それは間違いではなく、その人と共に歩むと決めたのは他の誰でもなく私自身です。

 

初めて暴力を振るわれたときに、逃げることもできました。
それはお互いに同じで、その時点で別れを告げることはできたのです。
でもそうせずに、同じ道を歩きながらより良い方に向かって努力していこうと決めたのも、また2人の責任なのです。

 

だから正直どちらも悪いし、どちらも悪くないと私は思っています。

 

心理学を学び、精神医学を学び、彼らの心の中の寂しさに触れることができました。
大切な人を暴力でねじ伏せることは、一見すると暴力を振るわれている方だけが傷付いているように見えます。
ですが、傷付いているのは暴力を振るっている方も同じです。

 

彼らを助けるためには、愛しているからこそ離れなくちゃいけない。


これが私なりに出した答えでした。

 

大切に思うからこそ、甘やかさない。


この選択は酷です。
何でもしてあげたいお世話好きの責任感が強い私にとっては、まるで逃げているような捨てているような、そんな負の感情になってしまう選択でした。

 

でも誰かを本気で大切に思い心から幸せに暮らしてほしいと願うとき、必ずしも手取り足取り助けてあげることだけが最善とはいえません。

 

たとえ結婚したとしても、その人の人生はその人だけのものです。
選択をし続けていくことが人生ならば、たとえ夫婦であってもどの道を選ぶかはその人にしか決めることはできないのです。
そして、そう決めた選択肢の責任はその人が持つべきものなのです。

 

痛かった。苦しかった。
それでも、私はあの時間を過ごせてよかったと心から思います。

 

なぜか?
痛みに触れたことで、人の痛みが分かるようになったから。
あの時間は、決して無駄じゃなかった。
胸を張って、出会えてよかったと言えます。

 

だからどうか、離れてください。


そして彼や彼女のことではなく、自分と向き合って自分だけのことを真剣に考えてください。

彼や彼女がどうしたいのかではなく、自分がどうしたいのか、ハッキリと明確に分かるまで自分に問い続けてください。

 

その答えが出たあとでやり直すことは、いくらでもできます。
暴力を振るう人にも、振るわれる人にも、選択肢は思ってる以上にたくさんあることを忘れないでください。

 

私が3人目にお付き合いした方は、人生で初めて暴力を振るわない方でした。
最初は「ストレスを溜めてしまっているのではないか、本当は不満があるけど我慢させているのではないか」と暴力を振るわれないことが逆に不安になりました。

 

でも暴力という手段以外に、気持ちを伝える術もたくさんあります。
それを知っていたはずなのに、暴力に慣れてしまった私は暴力のない付き合いに違和感と、少しの寂しさを感じてしまっていました。

 

ケンカをしたり怒鳴り合ったりもします。
それでも必ずどこかで、2人で折り合いを付けるのです。
私1人でもなく、彼1人でもなく、必ず2人で譲り合って歩いていきます。

それが共に歩むということで、お互いを思いやるってことなんです。

 

毎日心の底から大きな声を出して我を忘れて笑えない生活は、それだけで異常です。
自分の、彼の、異常だと感じている小さなSOSを見逃さないでください。

 

誰かのためと思っていることで、その誰かが傷付いている選択肢もあります。
勘違いしないで。
誰かのための選択も、あなたが決めたことであなたが責任を持つんです。
その誰かは、責任を持ってはくれませんよ。

 

どうか1人でも多くの人たちが、幸せでいられますように。
側にいることだけが、愛することじゃないから。