人生の曲がり角

無宗教主義者が思う、宗教のこと。

わたしが宗教に興味を持ったのは、心理学からの流れでした。

家系は仏教徒ですが、多くの日本人同様に無宗教の環境で育ちました。

 

そして今もわたしは無宗教主義者です。

何も信仰していないのかといわれたらそれは嘘になりますが、わたしの信仰している「ヘルメス教」は信仰を強制するものではないので、無宗教主義だと自覚しています。

 

■結局どの宗教も言いたいことは同じ。

 

世界三大宗教と呼ばれているのは「キリスト教」と「イスラム教」と「仏教」です。

ここから更に派生してたくさんの宗教があるのですが、どの宗教も生まれは同じです。

そして答えも同じです。

 

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2+3=5という式があったとして、どの宗教も答えは同じ「5」になります。

ただその答えに至るまでの「2+3」という式が違うだけです。

 

最近よく聞く過激派が理解されないのは、彼らは答えは「5」だと言ってるのに、答えが「5」にならない式を主張しているから。

 

先に生まれたのが、答えである「5」

後から、それぞれの宗教が答えである「5」になるように式を作っていきました。

 

どの宗教も「無限の愛のパワー」を「神様」と名付けて呼んでいます。

呼び方は異なるけど、みんなが呼ぶ神様は同じ「5」です。

 

■自分が神様なら、信じることや祈ることを強制するとは思えない。

 

わたしにとって神様は、必要とするものが何もない完璧な状態のことだと思っています。

 

もし仮に神様がわたしの思う通り、必要なものが何もないすべてにおいて完璧な状態だとしたら、人に「信じろ」「祈れ」「お布施を払え」「さもないと幸せにはしてやらん!」と言うだろうか?と思いました。

 

これは宗教を勉強する中で最初の方に思ったことなのですが、「こうすれば幸せになれるよ」という道を示すことはとても良いことだと思います。

わたしたち人間も、足りているものから足りていないものへアドバイスを送ったり、手を差し伸べたりすることは多々あるからです。

 

でも「○○をしなきゃ幸せにはしてやらんぞ!」というのはいかがなものか?と思いました。

 

過激派の主張にはこの意図を多く感じますが、こうしなきゃこうなれないという式を、果たして完璧である状態が要求するのか?というところには疑問が残ります。

 

宗教を勉強していく中で、どの宗教・宗派にもこの疑問を持ちました。

そして、結局人が都合の良いようにしているだけの「煽り」でしかないと思ったのです。

 

■「そうしてくれたら都合がいい」ことが、人間にあった。

 

もしも何も必要としない完璧な状態だったとしたら、わたしなら見返りなど求めずに助けを施します。

だってわたし(神様)は完璧なのだから、見返りをもらう必要がありません。

 

すべての宗教は同じものから生まれたのですが、そこから派生したのには「人間側に都合がいい」理由がありました。

 

どの宗教にも必ず「神とは別の代表者」がいます。

その時点で「?」って感じなんですけど、神様ではなく「人間の代表者」が存在するわけです。

そして多くの信仰者は神様ではなく、「人間の代表者」を信じています。

 

「え?それって?」と気付いた方もいらっしゃるかと思いますが、人間の代表者が都合のいいように「神様を利用する」ことが多々あります。

 

おそロシア( ゚Д゚)

 

な展開ですけど、世界の宗教事情を見ていると多くの場合は、「神様の名前を利用した人間の代表者による自己満足」でしかありません。

 

多くの人が信仰しているのはその人ではなく神様なのに、気付けば自分が神であるかのようにふるまい、そして人を都合のいいように煽り始めるわけです。

肩書きを手に入れた途端、調子に乗っちゃう痛い子と同じ。

 

色々と勉強しているうちにこんなことに気付いてしまい、わたしは気付けば無宗教主義者になっていました。

 

■宗教はそもそも信じる・信じないという問題じゃない。

 

わたしの信仰しているヘルメス教は、日本語で直訳すると「密教」になります。

あまり一般的でないのはもちろんで、ずっとずっと密教として現代まできました。

現在でもあまり声高々に言うことではないので、基本的には無宗教主義者で通しています。

 

ヘルメス教の教えはエメラルドタブレットという本に記されているのですが、冒頭には「知恵の唇は理解される耳にだけ開かれる」と書かれています。

 

ということは、です。

「信じろ、さもないと不幸になるぞ!」という姿勢が更におかしく思えてきます。

 

知恵の唇は(神様の言葉は)理解される耳にだけ(相応の人にだけ)開かれるのなら、信じる・信じない以前の問題じゃない?と思いました。

 

しかもこのエメラルドタブレットが、すべての宗教の始まりだというんだから驚きです。

 

おいおい、この謙虚で控えめな姿勢はどこに行っちゃったんだよ。。。と。

 

このエメラルドタブレットという本は日本語でも出版されているのですが、これが読むのになかなか苦労します。

「日本語でできているのに、意味が理解できない。」という意味不明な本で、わたしも読み終えるまでに1年間もかかりました。

 

 

宗教が共通して言いたいことはただ1つだけ、答えは「5」であることです。

 

なのに信じる・信じないの話をしてしまうと、式が違うどころか答えが「5」にすらならないのです。

 

信じる人には「5」が用意されているのだとしたら、信じない人には「5」以外の答えがあることになってしまいます。

それが「不幸」という答えなのですが、完璧で何も必要としない状態がわざわざ保険をかけるような答えを用意するのか?ってことになります。

 完璧で何も必要としない状態が、保険をかけて違う答えを用意するって、そんな人(神様)を信じられます?

 

わたしには無理です。

 

■理解できるからこう、理解できないからこう、そういう次元の話じゃない。

 

エメラルドタブレットを学んでいる途中で、「理解できるわたしって凄いじゃん!理解できない人と比べたら、まじで凄い人じゃん!」と調子に乗る時期が必ずきます。

 

この調子に乗る時期が、どの宗教にもいる「人間の代表者」です。

ここでまじで調子に乗っちゃって、俺ってすげええええ!ってなる痛い子が、神様の教えも忘れて「俺の教え」を始めるわけですね。

 

「まじでお前、凄くもなんともないから黙ってろよ(^_-)」と言ってやりたいです。

 

エメラルドタブレットには、

 

下にあるものは 上にあるものの如く 
上にあるものは 下にあるものの如し 

 

という一文が書かれています。

簡単に言うと「上も下も一緒」という意味です。

 

ちょうどいい気温を軸にして暑いと感じるのが「上」で、寒いと感じるのが「下」なら、それは「ベクトルの違いでしかない」といっています。

 

幸であることと不幸であることは、ベクトルが違うだけで、度数を変えれば幸にでも不幸にでもなり得るということ。

 

だから本が読めようが、読めなかろうが、神の声が聞こえようが、聞こえなかろうが、どっちも同じなわけです。

偉くもないし、凄くもないし、読めないからってダメでもなければバカでもない、神の声が聞こえようが聞こえなかろうが、どっちだって一緒。

 

すべての宗教がここから来ているのだから、そもそも「信じようが信じまいが、施しを授けるよ」というのが神様であるはずです。

 

あら?いったいどこで何を間違えちゃったのかしら?

 

■無限の愛のパワーが神様なら、誰だって神様になれるってこと。

 

そう、結論はこれです。

 

宗教でよく言われる「困っている人を助けなさい」というのは、愛はもらうものではなく与えるものだという教えからきています。

「愛して愛して!じゃなきゃ今すぐ死んでやる!」っていうメンヘラより、いつでも変わらずニコニコ笑って自信を持って堂々としてる人の方が、頼り甲斐があって大切にしたくなるものです。

 

もしもメンヘラのようにあれこれ要求するだけで自分はなにもしない、してもらって当たり前なのが神様だったら、人はいつか我に返って本質に気付きます。

でも与えることを厭わず、決して自分から要求することのない人には「してあげたくなる」ものなんですよね。

 

そんな無限にも思える愛のパワーが神様という存在なら、自分も神様になれるのです。

 

それをエメラルドタブレットでは宇宙との一体化と呼んでいますが、人間はクソ動物なのでなかなかそうもいきません。

 

自分が辛いときに人に手を差し伸べるのは難しいものですし、街中で困っている人を見かけても、仕事があるとか用事があるとか関わると面倒だとか、分かっていてもできないことは山のようにあります。

 

「無限の愛のパワーで誰かを包むことはできないかもしれないけど、でもそこへ向かって歩いていくことが大切なんじゃない?その方法が分からないなら教えてあげるよ。」というのが、本来の宗教であるべきだと思います。

 

■こだわってるから幸せになれない、以上。

 

信仰している人は「信仰する」ことにこだわりがあります。

その中でも「この式」にこだわり、「この答え」にこだわっているのです。

 

でも先ほども話したように、幸も不幸もベクトルの問題で答えは1つしかないのです。

 

こだわる意味なくね?1つしかないのに。

 

その1つが自分であればいいのに、と無宗教主義者として思います。

 

目に見えず触れられないものを信仰するより、今こうして生きているたった1人の自分を信じる方が、可能性も明るい未来も多く感じられる気がします。

 

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幸も不幸もその人次第、決めるのはあなただけ。

ってことは世界中の人みんな神様ってことじゃないの?