人生の曲がり角

何も無くなった、と思ったあの日から一年経った

こんにちは。

 

今日は、祖母の命日です。早いですねー、もう一年経ってしまいました。

 

完全に個人的な内容になりますが、今回ばかりはお許しください。

 

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ただただ、ダメになっていく自分しか想像できなかった

 

祖母が亡くなったのは、去年の今日でした。ここから数ヶ月、私はもぬけの殻のように過ごし、自分の人生をよく見ていた記憶があります。これから先のことをよく見ていましたが、ダメになっていく自分以外は、想像することもできませんでした。

 

とにかく虚無感に苛まれていた私は、これから先、落ちていく以外に考えられることはありませんでした。仕事をしないとか家に引きこもるとか、そういった「ダメになる」ではなく、精神的にダメになることしか想像できなかったのです。

 

そんなときでしょうか、突然目の前に婚約者が現れました。ジャイアンのようにわがままで、出会ったその日から大げんか。先行き不安なスタートでしたが、彼が私の心を救ってくれたことは間違いありません。

 

私は自由で、親戚一同からははみ出し者だといわれています。好きに楽しく生活していても、気にかける存在がいることは、人生に張りをもたらしてくれます。後先考えない私にとって、祖母はストッパーのような存在でした。

 

失うものは、もう何もない。

 

これは時に爆発力となり、人生を好転させることもあります。ですが、落ちていくだけなら、これ以上ないほど最適な環境にもなるんですよね。

 

それでもやるしかないと思えたのは、祖母に育てられたから

 

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どうでもよかったです。

 

投げやりになっていたわけじゃないけど、投げやりだったんでしょうね。食べるために働いて生きているだけで、それ以外のことにはまるで興味も持てませんでした。将来や未来を考えるのは苦痛に感じ、見ないふりをしている方が気楽でした。

 

でもそのまま生きられないのが、私です。違和感はどんどん膨らみ、ここにいたくないと思うようになりました。変革を求めて、動きたくて仕方なくなったのです。

 

祖母はよく言いました。

 

「やるしかないから、今ここにいるんじゃないの?」

 

居場所がないと言えば、居場所は自分で作るものだと言った祖母です。原因も結果もすべて自分にあるんだと、常々言っていました。ぬるま湯に浸かっていれば楽ですが、人は熱湯だと分かっていても進まなければいけないときがあります。

 

私の場合は、むやみやたらに熱湯を浴びに行っている気もしますが、人生に無駄なことなんてひとつもないんですよね。

 

祖母のいない世界でどう生きていくか、そこに妥協や中途半端さがないように、自分の人生をプランニングすることにしました。

 

婚約者は、祖母に似た人

 

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よく女性は自分の父親に似た人を選ぶといいますが、私の場合は祖母にそっくりな人と婚約しました。見た目じゃないですよ、中身です。

 

神経質で細かいところに目が届き、世間体や人からどう見られるかを気にします。ルーティンを大切にし、真面目で頑固で、融通が利きません。自由奔放!適当!その日の気分で決めようよ!という私とは、真逆のタイプです。

 

今まで付き合ってきた人は、どちらかというと私に似た人でした。お互いに自由で、縛られることを嫌い、適当されてもこっちも適当なので、適当の意味すらままならないほどでした。

 

でも、どこかで誠実さに欠けた関係に、諦めを覚えている自分がいました。交際相手は鏡だとよく言いますが、自分を写しているような関係に妥協を感じていたんですよね。

 

婚約者はそんな過去の人とは真逆の、口うるさい小姑のような人です。人によっては鬱陶しいと感じるのかもしれませんが、私は彼のおかげで背筋をまっすぐに保つことができます。彼と真正面から向き合おうとすると、相当几帳面に真面目でいなければいけません。でもその負担が、私にとってはちょうどいい足かせになるのです。

 

元々だらしない人間なので、枷がなければ一般社会では暮らしていけません。収入が自分次第のフリーランスは、私にとって枷にもなっています。そして祖母を失い、婚約者という背筋を正してくれる人に出会えたのです。

 

 祖母が亡くなって色がなくなった世界に、彼は色をくれました。

 

マザーテレサのような祖母になれる日はまだ遠い

 

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そんなに他人に尽くして、一体なにになるの?と言いたくなるほど、知らない人に対して簡単に手を差し伸べる祖母でした。不思議に感じることもありましたが、今はその意味がよく分かります。

 

今の私に人を支えられるほどの余裕はないけど、余裕がないからこそ手を差し伸べる思いやりを持つことの大切さを学びました。まだまだ祖母のようになれる日は遠いけど、目指すところはそこしかありません。

 

一年が経つのはあまりにも早いですが、とても濃い一年を過ごすことができました。人として成長できたかは分かりませんが、祖母のような人になれるよう、ここから一年も進み続けたいと思います。

指名のキャバクラ嬢がお店を辞めたら、お客さんはどうする?

こんにちは。

 

指名のキャバクラ嬢が辞めたら、お客さんはどうするの?という質問をいただきました。答えは、次の子を探す。です。

 

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キャバクラに誠実さを求めてる人間は、ほぼいない

 

お客さんのほとんどは、キャバクラ嬢が嘘つきであることを知っています。その上で遊びに来るのですが、中にはそれを理解していない人もいますよね。

 

キャバクラ嬢も自分が嘘をついている自覚はありますが、お客さんがなにも分かっていないとも思っていません。遊び慣れた人であればあるほど、キャバクラ嬢もその人が嘘だと分かっている上で、嘘をついています。

 

そんな場所ですから、お客さんもキャバクラ嬢も、相手に誠実さは求めていません。嘘じゃないよね?と聞きながら、回答がなんであれ最初から信用していないのはお互い様です。

 

でも稀に、通じ合う関係になる人もいます。何人もの方に指名を頂きましたが、この人と暮らしたら幸せだろうなと、先を考えられる人もいました。それでもその人を選ばなかったのは、場所柄、決定的ななにかがない限り、信頼できると断言できない自分がいたからです。

 

ほぼほぼ無いといってもいいくらいの確率で、通じ合う人もいます。そのくらいの確率に、自分と相手が当てはまるといえるでしょうか?

 

その子が好きじゃなくて、そのお店が好きで来てるお客さんは多い

 

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お店には固定客と呼ばれる人たちがいます。フリーでしか入らないお客さんもそうですが、キャバクラ嬢云々よりお店が好きで来店してくださる人たちです。

 

ひとりの女の子にメロメロになっているお客さんよりも、多くはお店が好きで来店されています。従業員と仲が良く、他の女の子とも他愛無い会話をする人は、尚更です。

 

彼らは指名のキャバクラ嬢が辞めたら、次の子を同じお店で探します。他のお店にもお抱えのキャバクラ嬢がいるので、同じことを複数の場所で行なっています。

 

大体が既婚者で、平均年収よりやや上であることが多いです。彼らの遊び方が、水商売の正しい遊び方です。

 

来る者選んで、去る者は追わずに、そして惜しまずに。

 

私が辞めたからって、すぐに他の子を指名するなんて!と嫉妬を感じる子もいるかもしれませんが、それが水商売です。相手に誠実さを求めるのなら、自分が誠実でいなければいけません。

 

従業員もそれを分かっているので、次の子を探している人には付け回しが、タイプの子を狙って付けます。当たれば大ヒット、そうして繰り返されていくのです。

 

大体のお客さんは、ずっと似たような子を指名してる

 

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私は最長で、同じお店に4年近くいました。間が長く空いたこともあったのですが、最終的には社長の次にお店に長く勤めました。

 

そうなるとお客さん事情も把握できるようになるのですが、固定客のほとんどは変わり映えしないキャバクラ嬢をピックアップします。前の子に似ている子、が共通点で、容姿も中身も似通っていることが多々ありました。

 

なんだかんだ一途というか、自分のタイプを大切にしているのは男性です。女性は割とその他の条件で妥協できますけど、男性の方が自分の好きに対して素直なイメージを持ちました。

 

多くの男性にとって、帰る場所と遊ぶ場所は別です。その感覚はメスには分からない、オスにだけあるものかもしれません。妻を帰る場所だとしたら、キャバクラ嬢が遊ぶ場所ではなく、キャバクラというお店が遊ぶ場所なのです。

 

目標を達成して辞められるキャバクラ嬢は、早々いない

 

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キャバクラ嬢がお店を辞める理由は、様々です。「なんでキャバクラで働いてるの?」というお客さんからの質問はとても多いですが、お客さんに対しては目標のためと言う子が多いと思います。

 

でもほとんどの子に、目標はありません。まして、目標を達成して辞められる子などほとんどいないのです。昨今ナンバーワンキャバクラ嬢が大々的に取り上げられるのは、それがどれだけ難しいことかを伝えるためではないかと感じる部分もあります。

 

キャバクラは若い女の子にとって、魅力ばかりの仕事です。好きなメイクができて、髪型はいつもバッチリ、綺麗なドレスを着て、お酒を飲んで、そんなんで何十万というお金が稼げる。それだけを聞けば飛び付くのは当たり前で、現実とのギャップが少なければ少ないほど、次を考えるのも当然です。

 

目先のことを考えた結果、後先を考えられるようになるならいいです。でも人が変わるのは簡単ではありませんし、継続は時に力にならず重荷になります。

 

面接を飛ぶことも出勤を飛ぶことも、日常茶飯事の世界なのです。

 

ホストには永久指名があっても、キャバクラにはない

 

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ホストクラブには、永久指名があります。その人がお店にいる限り、何らかの事情がないと指名を変えることはできないというものです。ですが、キャバクラにその制度はありません。

 

今日はこの子、明日はあの子ができます。実際そのようにしているお客さんもいて、キャバクラ嬢同士もそれを分かっています。

 

それが男と女の違いではないでしょうか。

 

私はキャバクラで働いてダメ男とたくさん付き合って、自身も浮気を何十回として、気付いたことがあります。女性は、遊びに適した生き物ではありません。

 

身体的構造上だと思いますが、男性の遊びと女性の遊びには決定的な違いがあって、それがホストの店舗数とキャバクラの店舗数に現れているのではないでしょうか。

キャバクラで最も重要なのは、男子従業員である

こんにちは。

 

インフルエンザになって、死にかけていました。祖母の一周忌も無事に終え、ホッとしているところです。にしても、一年が過ぎるのは早いですね。

 

さて、久しぶりにキャバクラ時代の思い出でも書こうかと思います。

 

私に多くを教えてくれたのは、お客さんよりも男子従業員でした。ナンバーワンになれたのは誰のおかげかと言われたら、正直お客さんよりも男子従業員です。

 

今日はキャバクラという舞台では目立つことのない男子従業員に、スポットライトを当ててみましょう。

 

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お客さんと女の子の質は、男子従業員の質によって決まる

 

キャバクラには「体験入店」というシステムがあります。女の子は実際に働いてみてから、入店を決められるというシステムです。 この体験入店で、時給の交渉やお店の雰囲気、お客さんの質などを把握します。

 

私は東京都内だけで、50店舗以上は体験入店に行きました。二時間で切り上げたお店もあれば、ずっとここにいたいと思うお店もありました。

 

その違いは、男子従業員の質です。

 

私は仕事をしない従業員が嫌いです。

 

節操がなく、礼儀に欠け、客商売をナメている従業員が大嫌いです。

 

ですが、実際は仕事のできる従業員などほとんどいません。水商売です。色々な事情があって集まってくるのは、女の子だけではないんですよね。

 

断言できるのは、男子従業員の質が高いお店には良いお客さんしか来ません。それと同じように、従業員の質が高ければ良い女の子だけが集まってくるのです。

 

適当にニヤニヤと接客する男子従業員と、気前よく紳士に対応する男子従業員、どちらの懐にならお金が入ってもいいと思えるでしょうか?

 

お金を支払うのはお客さんですが、キャストの稼ぎからも男子従業員のお給料が生まれています。たかだか裏方だと見くびらずに、しっかりと彼らの仕事ぶりを把握しましょう。

 

自分をキャストの一人として考えられる従業員がいる店は、強い

  

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キャバクラでキャストと呼ばれるのは、キャバクラ嬢です。彼女たちが舞台に立つことで、キャバクラというお店は成り立っています。従業員の仕事はあくまでも裏方であって、キャストのように舞台に立つことではありません。

 

ですが、従業員に求められているのは、裏方の仕事だけではないんですよね。

 

付け回しと呼ばれる業務は、キャストをどの席に着けるか考えます。実際にフロアに立ち、お客さんとキャストを観察する必要があります。そのためにはキャストよりも、お客さんよりも、空間を把握できる能力が求められます。

 

また下っ端の仕事であることが多いドリンク運びや片付けは、意外と一番お客さんと接する業務です。下っ端は20歳そこそこの従業員が多いものの、無知な態度や対応が、飲みの席ではウケて気に入られることもあります。

 

そして最も重要なのが、延長交渉です。キャバクラの中には自動延長システムを取り入れているお店もあり、延長交渉がない場合もあります。ほとんどのお店は時間が経つと従業員がテーブルへ行き、延長するか帰るかを聞いてきます。

 

この際、機械的に聞くこともできますよね。ただ延長するのか帰るのかを聞き、お会計を済ませることも可能です。でも、それではなんだか寂しくないでしょうか?

 

延長交渉は従業員とキャストの連携が大切なので、機械的に聞く従業員は仕事ができるとはいえません。自分もひとりのキャストとして、キャストと手を組んでお客さんに延長を促すのです。

 

自分がお客さんだったらと考えたとき、無愛想で機械的に延長交渉してくる従業員と、楽しく面白く延長を促してくる従業員がいたら、どちらに乗りたいと思うでしょうか。

 

お客さんもキャストも、仕事ができる従業員にこそ媚びを売れ

 

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お客さんの中にはカッコつけたいのか、従業員に対して馴れ馴れしい態度を取る方がいらっしゃいます。虚勢を張りたい男心は分かりますが、他人に対して高圧的な人をかっこいいとは思いませんよね。

 

そしてキャストの中にも、他のキャストに対して媚びを売る子がいます。弱肉強食の世界なので、強いものにすがりつくのは間違いではないかもしれません。ですが、仲良しこよしがお金になるのでしょうか?彼女たちが、生活を支えてくれるのでしょうか?違いますよね。

 

男子従業員というのは軽視されがちですが、お客さんにもキャストにも大いに関係がある存在です。

 

従業員からよく思われていないお客さんには、「使えないキャスト」を着けます。 延長してもしなくてもいいし、次に繋がっても繋がらなくても「どうでもいいから」です。

 

従業員からよく思われていないキャストは、いいお客さんに着けてもらえません。可能性のある大事なお客さんには、それ相応の子を着けるのが仕事だからです。

 

こんなことも分からずに従業員を蔑ろにするのは、賢明な判断とはいえませんよね。

 

風邪気味の話を聞いたら栄養ドリンクを渡し、お休みの前日になればゆっくり休みなよと声をかける。従業員とキャストではなく「親友」を目指すのが、上手な媚びの売り方です。

 

客だからと偉そうにするのは構いませんし、お金を支払っているのは確かにお客さんたちです。ですが、だからといってジャイアンが正しいことにはなりません。

 

愛すべきのび太と、ジャイアン、どちらに自分の店の商品を託すでしょうか。

 

どこに行ってもいい女の子を着けてもらえないお客さんは必ずいますが、一度自分が従業員だったらと想像してみてくださいね。答えは己の中にあるはずですよ。

 

全く同じことが、キャストにもいえますよね。

 

仕事を仕事と割り切れない従業員には、近寄ることなかれ

 

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どこの会社にも仕事ができない人はいますが、キャバクラの従業員にも一定数、必ずいます。

 

キャバクラはどの業界よりも異性と接する仕事であり、キャストと従業員というのは非常に近い距離で仕事をしています。年齢も同世代であることが多く、仕事以上の関係になることはしばしば聞く話です。

 

そこで仕事を仕事と割り切れない従業員が、必ずいます。要は、やりたいわけです。

 

中には結婚して幸せに暮らしている子もいますが、相手を間違えるとただのお金がない男と付き合うことになるので注意が必要です。

 

仕事ができる従業員ほど、キャストを従業員のひとりとして扱います。求めるのは性ではなく、仕事の質です。いかに売上を延ばし、仕事に対して真摯に向き合っているかを重要視するのです。そこに自分の好みや感情は、必要ありませんよね。

 

仕事を仕事と割り切れない従業員は、仕事ができません。しないのか、仕方が分からないのか、そもそもやる気がないのかは分かりませんが、いるだけ邪魔じゃないの?と口を出したこともあります。

 

キャストは、冷静に従業員を選びましょう。

 

自分のお財布に直結しているお客さんを、どの従業員であれば安心して任せることができるのか。

 

その視点から従業員を見ることで、お店の本質を見抜くこともできます。いい意味でも悪い意味でも、従業員を把握しておくことは自分の店を把握することに繋がります。

 

他の女の子には許されないことが、ある女の子だけは許されるというのは、その子と従業員の間に仕事上の信頼が成り立っているからです。その信頼を手に入れれば、楽しく働きながらお金を稼ぐことができますよ。

 

私には親友と呼べる存在が、キャバクラにたくさんいる

 

今でもお付き合いがあって時々お叱りを受けるのが、元店長と従業員です。プライベートな相談や仕事の相談も多く、親友のひとりとして今も付き合っています。

 

全員、40歳前後の独身貴族なおっさんです。

 

そして全員、お前になんか勃つわけないだろうと、私を女性として見ていません。

 

だからといって見下すわけでもなく、認めるべきところは認めてくれています。対等な立場で意見を交換し、お互いを尊敬しながら切磋琢磨しているのです。

 

キャバクラは、キャバクラ嬢がいなければ成り立ちません。

 

ですが、従業員がいなければ、それ以上にキャバクラは成り立たないのです。

 

お互いが自分にはできない仕事をしているのですから、敬意を持って働けるといいですよね。そのために必要なのは相手に求めることより、まずは自分が変わることです。

 

それでもクソみたいなお店もあるので、あまり長く迷うことはオススメしません。テンポよく稼いで、見る目を養いましょう。

障がい者こそ、健常者を差別しないでほしい

こんにちは。

 

2019年の目標は、「違和感のあることをぶった斬る」にでもしましょうか。どんどん言いたいことを言って、貧乏でも心は豊かな人間になりましょう。

 

さて、いつだか忘れましたが、JR池袋駅の西口に向かう途中で、「障がい者を差別するな」という旗が立っているのを見ました。

 

勘違い乙って感じです。

 

私の父は片目を失明しており、いとこは耳が聞こえません。叔父は生まれつき、下半身不随です。

 

その上で言いますね。

 

差別するなって、あんたらが健常者を差別してるんだよ。

 

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健常者に健康な人間など、一人もいない

 

そもそも健常者って言葉に腹が立つんですけど、健常者に健康な人間なんていないんですよ。私は健常者ですが、常に体調不良です。肩と腰は痛いし、胃腸の調子も悪いし、時々頭も痛くなって、今日は完璧だ!と言える日なんて一日たりともありません。

 

「私たちの辛さが分かるのか!」みたいな言い方するじゃないですか。

 

じゃあ聞くけど、体調不良でもろくに休むこともできない、健常者の気持ちがお前らに分かんのかよ。

 

自分のことを棚に上げて他人を叩くとは、受診する病院をお間違えではないですか?

 

してもらって当たり前と思ってる奴に、してあげる必要などない

 

なにを履き違えているのか知りませんが、障がい者の中には「助けてもらって当然」という姿勢の方がいらっしゃいます。完全に頭に虫が沸いてしまっていますね。

 

いつから、障がい者は偉くなったんでしょうか?その意識は健常者を見下していることになりますが、自覚はお持ちなのでしょうか?

 

謙虚で感謝の気持ちがある人には、なにも言われなくても手を差し伸べます。その人の態度を見ていれば、助けるべき人間かそうでないかは一目瞭然です。そこに障がいの有無は関係ありませんし、「人となり」の問題なんですよ。

 

フェミニストも反基地もそうですけど、どうして自分という人間をおざなりにして、理由を盾に都合の良いことを押し付けてくるんですか?言いたいことを言うのは構いませんが、自分を省みるということを知らないのでしょうか?

 

親の顔が見てみたいですけど、蛙の子は蛙なんでしょうね。

 

ありがとうとごめんなさいも言えず、してもらって当たり前だと思っている。

 

そんな奴、友達にもなりたくないですし、話をする気にもなりません。障がいがあろうがなかろうが、人として腐ってる奴と付き合うのは「人生の無駄」です。

 

生きづらい世の中なのは、なにも障がい者だけじゃない

 

生きづらいですよねー、私もそう思います。

 

言いたいことを言えば叩かれて、メディアの人間には仕事に影響が出ると脅されて、毎朝、中央線は遅延し、夜な夜なシェアハウスでバカが騒いで、生きづらいったらありゃしないです。

 

でも私だけじゃないし、あなただけじゃない。生きやすくするために日々やるべきことをやって、結果で事を変えようと努力しているのです。

 

その努力もなしに、障がいという盾を使って、楽しようとしてるだけじゃないですか。誰しもが生きづらい世の中なのに、どうしてあなただけを甘やかさなければいけないんですか?だったら健常者のことも同じように、甘やかしてくださいよ。

 

目が見えないとか、耳が聞こえないとか

 

足がないとか、手がないとか

 

知能に障がいがあるとか、発達に障がいがあるとか

 

どうでもいいです。ほんっと、どうでもいい。

 

人間なら全員、例外なく、与えられたもので生きていくしかないんですよ。そこに健常者も障がい者も関係ないし、与えられるものは人によって異なるじゃないですか。

 

天才と呼ばれるような能力のない人が大多数でも、その人にしかできないことは必ずあります。日々自分にしかできないことを活かして、誰かやなにかのために生き続けるしかないんですよ。

 

その与えられたものの幅を広げるのは、誰かや何かではないし、権利でも権力でもありません。

 

努力です。

 

結果です。

 

それに伴う過程と、姿勢です。

 

それが分からないうちは、助けてもらえることなんてないでしょうね。

 

目が見えなくなった父は勘当され、SEになり、suicaを作った

 

私の父親の実家は、病院を経営しています。私も幼い頃はボンボン育ちを経験させてもらいましたが、父は医師ではなくシステムエンジニアとして働いていました。

 

医学部生だった10代の頃、父は片目を失明し医師になるのを諦めました。そんな父を、祖父は「使えない」と勘当し、地元から追い出したそうです。

 

父は逃げるように東京へ来て、バイトをしながら専門学校に通いました。そしてシステムエンジニアとして働き始め、母に出会い結婚しました。

 

幼い頃の父の記憶は、いつもパソコンの前に座っている姿です。休みの日も自室にこもり、パソコンの前で頭を抱えて呻いている姿を覚えています。

 

そんな父の口癖は、

 

「これからは現金を持たずに、電車に乗って買い物ができる時代になる」

 

でした。

 

クレジットカードとは違いサインをする必要もなければ誰でも持てるんだと、熱心に母に話している姿を覚えています。

 

そして、suicaができました。

 

父はシステムを開発した人間ですが、障がい者です。片目は見えていませんし、健常者とは違います。

 

ですが、父は、目が見えないことを理由に言い訳をしたことは一度もありません。

 

運動会では他のお父さんと同じように走り、勉強を教え、旅行に連れていき、出張へ行けばお土産を買ってきてくれました。健常者の父親となにも変わらない障がい者の父親を、私は尊敬していますし、誇らしく思います。

 

でもこれが、目が見えないことを理由に言い訳するような父であれば、大嫌いになっていたでしょうね。目が見えなくて当然だと思っていたでしょうし、ずっと早く家を出ていたかもしれません。

 

医師としての能力には欠けていたかもしれませんが、父は自分にしかできないことで結果を出しました。甘えることもなく、言い訳することもなく、粛々とやるべきことをやった結果です。

 

誰かや何かのせいにするのは、とても楽で簡単です。言い訳ができれば多少は聞く耳を持ってくれる人もいるでしょうし、同情して可哀想と言ってくれる人もいるかもしれません。

 

でも私の父もいとこも叔父も、可哀想と言われることを嫌います。

 

与えられたもので生きているのであって、与えられたものは人それぞれ違うのに、可哀想と言われる意味が分からないと。

 

だから私は障がい者を可哀想とは思わないし、障がいのある友人にも健常者の友人にも同じように接します。そこに差別意識はありませんし、あるとすれば区別意識です。

 

差別と区別の違いがわからない奴に、差別を語られたくない

 

差別だ差別だと騒ぐ人は、大概、差別と区別の違いが分かっていません。無知は罪だといいますが、その通りですよ。それでいて人のせいにするなんて、バカを露呈しているのと同じです。

 

とりあえずのWikipediaさんに、差別と区別の違いを教えてもらいましょう。

 

まず、皆さんの大好きな差別については、このように書かれています。

 

差別(さべつ)とは、存在の否定である。特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

差別 - Wikipedia

 

存在の否定とは…恐ろしいものですね。健常者は障がい者の存在を否定しているということになりますが、当てはまらないと思うのは私だけでしょうか。

 

次に、区別について見てみましょう。

 

ウィキペディアには「区別」という見出しの百科事典記事はありません。

区別 - Wikipedia

 

わお、これは困りましたね。Wikipediaさんでも、区別というのは分からないそうです。グーグル先生に聞いてみた結果が、以下です。

 

それとこれとの間に認める違い。また、それをこれと違うもの(種類)として扱うこと。

区別 意味 - Google 検索

 

だそうです。理解できるでしょうか。

 

健常者と障がい者の間に認める違い

 

これこそが、健常者も障がい者も生きやすくなるための社会です。

 

誰もあなたたちの存在を、否定していません。同じ人間だからです。見た目や能力の差があるのは、障がい云々の話ではないと誰もが分かっているからです。

 

区別は必要です。能力差がある以上、全員が同じでない以上、それぞれに合わせて区別することが、その人のためになるからです。

 

それを差別だと騒ぐのは、被害者意識もほどほどにしたらどうでしょうか。

 

健常者は罪に問われ、障がい者は許されることがあるのを忘れるな

 

これも性犯罪に好まれる人生の運命ともいえますが、バスに乗っていたとき、ダウン症の方が私の目の前に立ち、突然オナニーを始めました。ハァハァ言いながら必死にしごく姿に、恐怖を感じました。

 

別の日に駅で待ち合わせをしていたとき、突然抱きつかれ、思い切り腰を振られ、付き添いの方に平謝りされました。

 

彼らは、相手がどう思うかを考えられません。それは病のせいであって、本人がそうしたくてしているわけではないことも、充分に理解しています。

 

これが健常者だった場合、罪に問われ、裁判を受けることになります。ですが、障がい者だから許されるのです。

 

逆に、障がいのある方を人として扱わない健常者もいます。そんな健常者こそ障がい者であり、存在を否定したい生き物です。

 

障がい者施設で障がい者の方を大量殺人し、障がい者は生きている価値がないと言った殺人犯がいましたよね。確かに社会にとって有益な存在かといわれたら、そうではないかもしれません。

 

ですが、私は目の前でオナニーしているダウン症の方を見て、思わず、彼のお母さんはどう思うんだろうかと考えてしまいました。

 

私はあまりいい娘ではありませんし、母のことを幾度となく泣かせてきました。それでも母は私を愛し、大切に思ってくれています。親であればどんな子であっても、大切な自分の子どもには変わりないのではないでしょうか。

 

そこに社会への有益性は関係ないですし、生きていてほしいと願う人がいる以上、彼らにも生きる権利があります。

 

でも、彼らによって傷付けられる人間がいることも、忘れないでください。

 

そんなことも忘れて自分たちだけが可哀想だと騒ぐのは、あまりにも思いやりがないと感じます。では彼らによって傷付けられた人たちに、なんと説明するのでしょうか?

 

人を傷付けるのに、障がいがあるからでは済まされないんですよ。司法は心神喪失者を罪には問わないといっていますが、その事実を犯した時点で、障がい云々ではなく、 その事実をしようと思う「心神」は持っているわけですよね。

 

私は彼が心神を喪失した状態でオナニーしたとは思えませんし、腰を振ったとも思えません。それは言い訳であって、配慮するべきとは思えないからです。

 

事実に対して謝罪を求めることはあっても、彼らの存在を否定する気はありません。気分を害す人がいるから、してはいけないよと、言うだけです。

 

なぜか、分かりますか。

 

彼らに人の気持ちが分からなくても、私には分かるからです。

 

これが健常者と障がい者の間に認める違いであり、必要な区別です。差別をするならオナニーを始めた時点で、生きてる価値ないよと殺していたでしょうね。

 

誰もが生きやすい社会を求めるなら、まずはてめえの色眼鏡を外せ

 

 こちらの記事を、ご覧ください。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

この女性を犯した人間を、本来は障がい者と呼ぶべきです。

 

犯人はきっと、障がいのある方や病を抱えた方を色眼鏡で見ているんでしょうね。大量殺人した犯人も同じですが、差別と区別の違いが分からない、痛い子の典型的なタイプです。

 

障がい者にも尊厳があり、生きる権利があります。

 

健常者にも尊厳があり、生きる権利があります。

 

お前らだけじゃないし、私たちだけでもない。障がい云々関係なく、この世に生きる全ての人に当てはまることです。お互いに色眼鏡を外して人として付き合うことを覚えなければ、いつまで経ってもくだらない人間に傷付けられるだけです。

 

人に求める前に、まずは自分を省みましょうね。それから人に期待するより、自分に期待した方が、ずっと夢があって人生が豊かになりますよ。

フェミニスト(一部)に女性として言いたいこと

あけましておめでとうございます。今年も変わらず、私らしくありたいと思います。

 

さて、最近なにかにつけて「権利」を主張する方を、たくさん見かけるようになりました。主張する権利は誰にでもありますし、自身の意見を述べることは正しいことだと思います。

 

が、女性の権利を訴えている方たちに、女性として言いたいことがあるのです。

 

あくまでも全員ではなく、一部の方へ向けた私からの意見です。女性の権利の中には賛同できるものもあり、改善してほしいと願う部分もあります。

 

ですが、勘違いブスに限って、ピーピー騒いでる気がするんですよね。

 

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*本日のブログでは、性被害に遭ったことやアダルトな表現、汚い言葉を多用しています。ご気分を害される可能性のある方は、ここで読むのをやめることを推奨しておきます。

 

痴漢にレイプに拉致、ストーカーに下着泥棒とあらゆる性犯罪を経験した

 

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そういう星の元にでも生まれてきたのかと思うほど、幼い頃から性犯罪に遭うことが多かったです。痴漢には二度遭い、レイプにストーカーに下着泥棒と、性犯罪と呼ばれるものは一通り経験してきました。

 

初めて性犯罪に遭ったのは、5歳の頃だったでしょうか。

 

幼稚園の帰りに母と妹とスーパーへ行き、トイレに行きたいと言った私に、母は「入り口で待っているから、一人で行ってきなさい。」と言いました。

 

トイレの入り口で母と妹が待ち、私は一人でトイレへ入りました。中の個室で男性が待ち伏せしていたのですが、私はそれに気付かず、ドアを閉めるのが怖くて、開けっ放しにしておしっこをしていました。

 

すると男性が私のところへやってきて、ニコニコしながら鍵を閉め、「よく見せて」とおしっこしているところをジッと見られました。

 

続いて男性は下半身を露出させ、「握って」と言って男性器を出してきたのです。なんのことだか分からない私は、言われるがまま男性器をニギニギすると、「お母さんには言っちゃだめだよ」と言われ、男性はその場から立ち去りました。

 

律儀な私は今でも言われたことを守り、母はそのことを現在も知りません。

 

小学生になってすぐに、ホームセンターで男性二人に拉致されました。車の中で乱暴される寸前で、祖母と警備員の方が助けに来てくれました。

 

*子どもから目を離すなという意見も重々承知ですが、母と祖母には、何の罪もないと思っています。昔から落ち着きのない子どもでしたし、責める相手が違うのではないでしょうか。

 

高校生のときにはレイプと痴漢に遭い、社会人になってからはストーカーに下着泥棒、そしてまた痴漢に遭ったのです。

 

これから話すことは、それらを踏まえた上で聞いて頂けると幸いです

 

ああでもないこうでもないと噛み付かれるのは癪に障るので、先に、私がなにも知らないわけではないことをお伝えしておきます。

 

その上で、これから話すことを耳に入れて頂けると幸いです。

 

それでも私は絶対に、女性専用車には乗らない

 

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これだけ幾多の性犯罪に遭っておきながら、私は絶対に女性専用車には乗りません。

 

過去に二度も痴漢に遭っていますが、どちらも警察には届け出ませんでした。駅員さんに引き渡すこともなく、その場を離れています。

 

痴漢した男性を電車から引きずり下ろし、身分証と彼らの顔を携帯で撮影しこう告げました。

 

「今ここで私が大きな声で叫ぶか、会社に電話するか、二度としないと土下座するか、どれか選んでいいよ。」

 

男性は二人とも土下座することを選び、朝の南浦和駅新宿駅で、女相手にサラリーマンが土下座して謝ったのです。一人は横柄な態度を取っていたので、頭に来て顔面を爪先で蹴り上げました。出血していましたが、死にはしないのでいいでしょう。

 

「私刑」という言葉があります。刑法に則った罰し方ではなく、個人が個人的に相手に制裁を加えることです。

 

私はこの私刑をアリだと思っていて、時に警察はあてにはならないことも、過去の性被害によって学んでいます。警察に突き出すよりも、恥をかかせ、心に深い傷を負わせる方が、私にとっては満足のいく罰し方なのです。

 

ちなみにですが、彼らの個人情報は今でも持っています。それは彼らにも伝えてあり、「いつかバラされると思いながら生きなよ」と、言い捨ててその場を去りました。

 

私がそれでも女性専用車に乗らない理由は、痴漢に遭うことよりも、女性専用車に乗っている女性が好きではないことが大きく関係しています。以下が、主な理由です。

 

臭いし、ピリピリしてるし、何より勘違いブスの塊

 

*様々な事情があって、男性と狭い空間に一緒にいられない女性がいることは充分に理解しています。彼女たちを批判するつもりはありません。私が言っている「女性」は、自意識過剰の「ブス」のことです。

 

女性専用車は私からすると、とにかく臭いです。デパートのコスメコーナーと香水屋さん、そしておばあちゃんちの匂いが混じった香りが充満しています。そんなカオスな香りが、車両という狭い空間の中に漂っているのです。考えただけでも吐きそうで、とにもかくにもあの匂いが苦手です。

 

そして朝は絶対に、男性よりも女性の方がイライラしています。生理前か更年期か知りませんが、顔を見ただけでイライラしているのが分かります。上や下を見て今にも悟りを開きそうな男性とは対照的に、女性は少し体が当たっただけで相手を睨み付け、すぐに悲劇のヒロインぶるのです。

 

おいババア、座りたいのも体がくっついて不快なのも、てめえだけじゃねえんだよ。そんな顔してるから、旦那も抱く気がなくなるんじゃねえの?まじでブスだよ。心がな!

 

と吐き捨てたい気持ちをグッと堪え、隣で悟りを開きかけているサラリーマンを見て、今日も頑張ろうと思うのです。

 

男女混合車両では時々、口が臭い人の近くに当たるくらいで、これといった匂いはしません。目的地や混み具合によって臨機応変に場所を移動し、車内では悟りを開きかけている人ばかりです。

 

まさに「無」の状態なわけですが、臭くてピリピリしている女性専用車両に乗るより、痴漢のリスクを冒してでも男女混合車両に乗る方が、私にとっては快適なのです。その場に居合わせた男性には気を遣わせて申し訳ないのですが、女性専用車両は負の塊だと思っています。

 

二度目の痴漢以降、私は「やれるもんならやってみろよ」のスタンスで、電車に乗っています。殺気が出ているのかもしれませんが、そのスタンスでいると不思議と痴漢に遭うことはなくなりました。

 

姑息な手段を使ってしか女性と接することができず、性的欲求を正しい方法で解消できない、オツムの弱い可哀想な人が痴漢をすると思っています。そんな彼らに、殺気の出ている女を犯す勇気も根性もあるわけがありません。

 

もしも痴漢されたら、線路に落としてしまいましょう。痴漢は人の心を殺す行為です。身体的であっても精神的であっても、殺人をしているのと何ら変わりないと思います。

 

突き落とすだけなら力は必要ありませんし、ふくらはぎを後ろから思いきり蹴れば崩れ落ちるので、覚えておいてくださいね。その前に股間を思いきり蹴り上げて、再起不能にするのもアリですよね。

 

そんなことを考えながら電車に乗っていれば、絶対に痴漢には遭いません。断言します。

 

相手も女性を選んでいますから、目が合ったら殺すぞと思っていればいいのです。

 

男女平等ではなく、女を敬え!と聞こえる節がある

 

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私は女だからと気を遣われることが嫌いですし、どんな時もスタートラインは男性と同じ場所を選びます。同じルールの中で戦うことに意味があり、そこに性差はないというのが個人的な意見です。

 

もしも仮に同じ場所からスタートして差が出るんだとしたら、それは性差ではなく能力の問題ではないでしょうか。誰かや何かのせいにして逃げるのは楽ですが、自分を蔑ろにしていることに気付いた方がいいですよ。

 

*医学部が意図的に女性受験者を落としていたことや、女性だからと劣っている見方をする人や組織があることは理解しています。それらについて、性差の問題ではないと言うつもりはありません。何度も言いますが、私が言いたいのは「勘違いブス」です。

 

私の母は離婚後、41歳で大手運送会社に事務員として入社しました。女性事務員の中で唯一の正社員であり、事務課の中では最も長く勤めています。

 

そんな母は昨年、課長に昇進しました。現在8人の男性社員と2人の女性パート、そして障がいのある方を1人まとめる立場にあります。

 

母も言いたいことは言うタイプです。

 

クビにできるもんならしてみろよ!と食ってかかり、やることはやっているし、私はなにも間違っていないと、至極真っ当なことをズバズバと口に出します。そのおかげか、最近は男性社員たちから「鬼ババア」と呼ばれているそうです。

 

悪口にも聞こえますが、母は男性社員からそう呼ばれることを、嬉しそうに話していました。遠慮も気遣いもないコミュニケーションが取れる職場を、母は自分で作り上げ、居心地の良さを自分で決めているのです。

 

職場の方が母を愛し大切にしてくれていることは、娘にも伝わってきます。仕事仲間でありながらプライベートの相談も遠慮なくできるような関係を、母も他の社員たちも、大事にしているようです。

 

ですが、入社当時からそうではありませんでした。

 

運送会社は圧倒的に男性優位の業界であり、人数的にも女性はまだまだ少ないのです。入社当時は娘として、何度も辞めたらどうかと提案しました。憂鬱な顔をして帰ってきては、行きたくないと言いながら仕事に行く母を見ているのは、とても辛かったです。

 

でも母は、いつもこう言っていました。

 

「与えられた場所で咲くしかない。ここで辞めたら、自分に負けたことになる。だから今日も会社へ行くし、やることをやって、間違っていることは間違っていると言い続けるのよ。」

 

そうして11年も戦い続けた結果、母は昨年ようやく自分の居場所を確立させたのです。

 

母は普通科の高校を出ただけで、持っている資格は車の免許くらいです。手に職があるわけでもなく、母曰く「誰にでもできる仕事」をしています。

 

女性の権利を訴える方の中には、何かにつけて男性のせいにする方がいます。確かに社会全体が男性優位であることは感じますし、女性だからと中途半端な対応をされることもあります。

 

でも、だからなんですか?

 

母に特別な能力はありませんし、あるのは根性とやかましい口だけです。ですが、その結果、間違いではなかった証拠に課長という肩書きを手に入れたのです。

 

男性社員が母を敬い、慕ってくれていることは感じています。母との会話の中でも、他の社員を思いやる言葉が出てきますし、何かにつけて職場の社員の話をしてきます。

 

男性だとか女性だとかの前に、人は尊敬に値する人物に付いていくものです。そこに性差は絶対に、関係ありません。

 

男性のせいにする前に、あなたは人として尊敬されるような人間なのでしょうか?

 

むしろ女性であることを言い訳にして、人としての尊厳を冒していませんか?

 

あなたの言っていることは、男女平等ではなく、女尊男卑だと感じますよ。

 

女を敬え!男は下劣な生き物だ!というのは、男尊女卑と同じです。

 

あなたの一番嫌なものと同じことをしていては、何の意味もないんじゃないでしょうか?

 

実際は、男性の方が弱い生き物であることを知れ

 

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男性は、とても弱い生き物だと思います。身体的にではなく、精神的にです。妻が先に亡くなると、ほとんどの夫はすぐに死にます。ですが、夫が先立っても、老い先を楽しむ妻が多いのは、それが理由でしょう。

 

幾多のダメ男と付き合い、幾多の性被害に遭い、人間のオスは動物界の中でもかなり弱い部類に入るのではと感じています。メンタルが豆腐ですし、草食系と呼ばれるような男性は、自然界で生き残ることはほぼ不可能です。

 

女性の方が根性があり、ここぞというときの決断力もあるように感じます。潔さや後を引かないことは、恋愛で特によく見られるパターンです。

 

確かに身体的には男性の方が強いです。この社会においても、男性の方が優位であることは間違いありません。

 

でも仕方ないじゃないですか。

 

この世のこの時代に生まれてしまった以上、この世界で生きる他にありません。それが嫌なら、死ぬという選択もできるのです。自殺はあまり良いこととされていませんが、何も禁止されているわけではありませんよ。

 

死ぬ勇気もなく、正面切って戦う根性もなく、何かにつけて男性のせいにしては、私は可哀想だと吹聴して回る。

 

そんな女を、誰が抱きたいと思うんですかね?

 

ああ、このババア、久しくセックスしてないんだろうな

 

と、すぐに分かります。でもそんな女に限って、挿れられたらすぐに喘いじゃうアバズレなことも分かります。だからこそ、誰も相手にしないんですよ。男性だってアバズレを抱くより、良い女を抱きたいものです。

 

精神的にはずっと、女性の方が優位です。精神年齢は絶対に女性の方が上ですし、いくつになってもピーターパンのような男性ばかりです。

 

それでいいじゃないですか。

 

クソジジイに何を言われても、女に相手にされないから八つ当たりしてるんだなと思っていればいいんですよ。さらっと風俗に行くことを促してみて、それがなんちゃらハラスメントだと言われるのなら、そんなときこそ「女の権利」を利用して、地獄に突き落としてやればいいんです。

 

悪いですけど、女性が男性の職を奪うことは簡単にできます。社会的信用をなくし、家族も友達も奪うことは、簡単なんですよ。それが女性だけにある権利であり、守られた立場である証拠です。

 

私の妹はセクハラをされて、退職しています。妹の話しか聞いていないので適当なことは言えませんが、私だったら絶対に辞めません。辞めないことでこちらの意思を示し、そして裏でしっかりと根回しをして(女の権利は使いようで、いくらでも、どうにでもなります。)制裁を加えるのです。

 

女性の方がずる賢く、男性からすれば、その賢さは恐怖です。復讐は女性の方が執拗で、身体的ダメージではなく精神的ダメージを与えるのが得意です。

 

殺してしまえば、それで終わりです。

 

ですが、生かした上で傷付ける方が、よっぽど面白いじゃないですか。

 

被害に遭ったこともないくせに、被害者面してんじゃねえよ

 

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勘違いブスに言いたいのは、この一言です。

 

どんどんかかってきてください。私が今までどんな性犯罪に巻き込まれてきたか、いくらでも話しますよ。

 

女性の権利を訴える方の中には、実際に被害に遭われた方もいます。女性とは言えみんながみんな、私や母のように強いわけではありません。そんな方たちが身を守るために主張することは、何も間違っていません。至極当然のことであり、全員が強いわけではない以上、身を守るために必要なことは認められるべきです。

 

ですが、女を敬え!男は下劣な生き物だ!と言っている勘違いブスは、性犯罪に遭ったことなどないでしょうね。被害に遭ったこともないくせに被害者面するというのは、ただの痛いババアでしかないのですが、その辺の自覚はあるのでしょうか。

 

私は何度も性犯罪に遭い、全身20箇所以上を骨折させるようなDV男と付き合い、働かないヒモ男を何人も養い、もはやロクでもない男のために生きているのかと思いますが、それでも男性は愛すべき存在だと思っています。

 

なぜか。

 

男は弱い生き物だから。

 

強い生き物であれば、弱いものをいじめる必要などないことを知っています。そんなことすら分からず、自分より弱いものを狙って欲を満たそうとしているのです。

 

滑稽で、下劣で、クソみたいな生き物ですよね。

 

だから労ってヨイショして、腹の中ではなにを思っていても、ニコニコおだててあげればいいのです。そんなクソみたいな生き物は、褒められれば調子に乗って、もっと頑張っちゃうんですよ。それらを逆手に取って、手のひらで転がしたらいいんです。

 

賢さは、勉強ができることだけではありません。ずる賢いと言われても、自分が生きやすくなるために賢さを利用することは、間違いではありませんよ。

 

被害に遭った人は被害を乗り越えて、より強くたくましく良い女になるのです。そんな良い女を、良い男が放っておくはずないんですよ。

 

それをブー垂れているだけの勘違いブスに、分かったような顔をされるのはたまったもんじゃありません。

 

相手にされないから、その腹いせに男性を悪く言っているのでしょうか?

 

だとしたら、女性としての魅力が増す努力を、まずはするべきではありませんか?

 

それが分からないから、ブスなんですよ。顔も心も。

 

そんな女には、お金をもらっても勃起しないでしょうね。気持ち悪い顔して喘ぐんだろうなと想像できる女に、なにを言われたところで、男性からしても「うるせえな、黙ってろよ」って感じだと思いますよ。

 

女性の権利なんてどうでもいいから、母親の権利を大切にして

 

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正直、女性の権利なんて興味もなければどうでもいいです。この社会で生きるしかない以上、喚き散らすより結果を提示する方が、早く解決することを知っているからです。

 

ですが、母親としての権利はもっと主張してもいいのではと思います。

 

私に子どもはいません。産んだことも育てたこともないので、ここから先、間違ったことを言っていたら遠慮なくご指摘ください。

 

女性は一度妊娠すると、10ヶ月は他の男性の子どもを身ごもることはできません。しかし男性はその10ヶ月の間に、何人でも女性を妊娠させることができます。

 

この時点で、母親と父親が平等であるというのは不可能ではないでしょうか。負うものが違いすぎると感じます。その点においてもっと話し合いが持たれるべきであり、それらを踏まえた上で、女性の社会進出や少子化対策をするべきだと思います。

 

女性の権利と言いながら、母親の権利を訴えている方がいます。個人的には、女性と母親を混同するべきではないと思うのです。

 

今はほとんどの家庭が共働きで、やれる人がやれることをやる、という家事分担も当たり前になってきました。そんな世の中で女性ではなく母親が、生きやすくなるための権利はもっとあっていいと思います。

 

電車にベビーカーが乗ってくると、嫌悪感丸出しの方がたくさんいますよね。子どもが泣けば眉間にしわを寄せて、明からさまな態度を示す方もいます。でもそれは、大きな間違いだと思います。

 

公共の場で大人が泣き叫べばただの頭がおかしい人になりますが、なにも知らない子どもは泣き叫ぶことでしか意思を伝えられないのです。泣き叫ぶ子どもを見て、母親は必死に意思を汲み取ろうとします。それらを迷惑だと感じるのは、人としておかしいと思うんですよ。

 

だからJRさん、本気で、子どもと親だけの車両を作ってあげてください。申し訳なさそうにしているお母さんたちが、あまりにも可哀想だと思います。悪いことをしているわけではないのに、周りを気にして自分の子どもに冷たく当たるのは、親として自己嫌悪に陥る可能性もあることなのです。

 

泣きたいんだから、泣けばいいじゃないですか。笑いたいんだから笑って、叫びたいから叫んで、走り回りたいから走り回っているだけです。

 

それらをしていい場所としてはいけない場所があることを、親として教えられない親は論外です。が、感情を表現することになんの罪もありません。ましてそれが生まれて数ヶ月であれば、善悪の判断がつかないのは当然のことです。

 

どうして子どもが泣いただけで、うるさくしてごめんなさいと謝る必要があるのでしょうか。大人だって泣けば嗚咽の声でうるさいですし、泣こうが笑おうが、何したって他人からすればうるさいんですよ。

 

謝る必要はないし、どうか堂々としていてください。私のような人ばかりではないかもしれませんが、多くの人は子どもだからと理解しています。困っていれば助けますし、いつだって遠慮なく人を頼っていいんです。

 

その権利が母親にはあり、そして子どもにもあります。それを女性の権利と混同するのは、間違いです。母親と子どもは社会全体で守るべき存在であり、大切にしなければいけません。

 

だって私の年金生活を支える大切な未来ですからね…グフフ。

 

というのは冗談ですが、これから最後に、弱いものいじめについてバッサリ書いて終わります。

 

結局勘違いブスは、弱いものいじめをされたと騒いでいるだけ

 

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はい、勘違いブスの皆さん。

 

はっきり言いますが、あなたは弱いものではありません。社会全体で守るだけの価値もない、勘違いブスであることを自覚してください。

 

一人で騒いで一人で自爆して、いつまでも私は可哀想と言っていればいいんですよ。

 

本当に弱いものというのは、声をあげられないもののことを指します。子どもや犬猫などの動物、自然環境や、力の差で恐怖を感じさせられた女性たちです。(もちろん傷付けられた男性もです。)

 

はい、もう一度言いますね。

 

力の差で恐怖を感じさせられた女性の中に、お前は含まれてねえから。

 

弱いものいじめは、絶対に許してはいけないと思います。

 

私が保護犬ボランティアを始めようと思ったきっかけは、犬に対する暴力がきっかけでした。口がきけない犬に対してしつけと言いながら暴力を振るうことは、人として愚かであり許しがたい行為であったからです。

 

絶対に勝てると分かっている相手に対して、力の差を見せつけて何が面白いんでしょうか。勝てるのは目に見えているのに、わざわざ勝負に挑む意味が分かりません。

 

私はピットブルという、世界で一番人を殺したと言われている犬を飼っていました。彼らは闘犬として生まれ、現在も多くの子が戦いを強いられています。人間の子どもくらいなら簡単に噛み殺せるので、しつけには多少暴力を用いている方もいます。

 

ですが、所詮は犬です。人が殺すのなんて簡単なんですよ。

 

所詮は犬でも、感情があります。理解できるだけの脳みそを持っていて、学習能力があります。人と同じ感情を持つ、人と同じ動物です。

 

目を見て話し意思を伝える努力もせずに、いきなりぶん殴っては、相手だってそんな奴の言うことなど聞きたくもありません。

 

弱いものいじめは、弱い奴のすることです。弱いものをいじめることによって、自分が相手より弱いことを示しているのです。ですが彼らは、そのことを分かっていません。

 

なんて滑稽な、可哀想な人たちですよね。

 

そんな彼らを叩くだけの時間は無駄なので、この社会から爪弾きにしてやればいいんですよ。

 

私は保護犬ボランティアをしていたとき、暴力を用いてしつけを行なっていた飼い主からは、問答無用で犬を引き取っていました。言い訳など聞く気にもならず、口より先に手が出るオツムの弱い奴に、改善の余地など与える必要はありません。

 

子どもに暴力を振るう親も、女に手をあげる男も、男に手をあげる女も、同じです。更生の機会も改善の余地も、与える必要はありません。元々の脳みそが弱いんですから、そういう人たちはそういう人たち同士で、悲劇のヒロインごっこをしていればいいのです。

 

その場所が、刑務所ではないでしょうか。

 

私は死刑に賛成です。人の痛みが分からない奴を野放しにされては困ります。生かしておいてはいけない「神様が失敗しちゃった人間」を、正しい方法で処理してなにが悪いんでしょうか。

 

それが間違いだというのなら、その人たちによって傷付けられた、傷付けられるであろう人間に対して、なんと説明するのでしょうか?

 

誰しもに生きる権利があり、自由があります。主張するのも意見を述べるのも、この国では自由です。ですが、人としての尊厳を侵してはいけないと分からない、脳みそがダニより無意味な働きしかしない失敗作に、なにを期待するのですか?

 

どうせ自分がされたら死刑にしろと騒ぐくせに、他人事だからと死刑は反対だなんて、これまた頭に虫でも湧いているのでしょうか。

 

強くたくましく、今日も女として生きてやれ

 

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今まで女を理由に嫌な思いもしてきましたし、性別に関わらず、人の嫌な面はたくさん見てきました。それでも私は、生まれ変わるならまた女性になりたいです。 

 

我ながら恐ろしいほどポジティブなので、たくさんの男性に犯したいと思われるだけ、性的魅力に溢れた女なんだろうと思っています。メスとしては喜ばしいことですし、相手にされないよりよっぽど幸せです。

 

*そうは思えない被害者の方がいるのも、分かっています。私もこんなことを言っておきながら、暗い気持ちになる日もあるのです。でも物は考えようですし、あまりいい世界ではなくても、悪い人ばかりでもないんですよ。

 

私は今この与えられた場所で、必ず咲いてみせます。性別を言い訳にはしませんし、その中で害を被ることがあったとしても、この場所を選んだ自分にも責任があります。

 

正々堂々と戦いを挑み、負けたら自分を省みる。

 

その環境の中で生きているのは私だけではありません。この世の女性全員が、同じなのです。

 

可哀想と思われたり、遠慮をされるのは癪に障ります。気遣いなど不要で、同情するならお年玉100万円をもらえた方が、よっぽど助かります。

 

強くたくましく、かっこいい女でいようじゃないですか。

 

女を敬え!と言うより、敬いたくなるような女でいたいものですね。

 

 

平成最後に言いたいことをぶちまけてみる

こんにちは。

 

今年も多くの人に出会いお世話になりました。

 

本当に有難う御座いました。

 

しみじみ感謝の気持ちを述べて終わるのはらしくないので、平成最後に言いたいことをぶちまけてやろうと思います。

 

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インターネットは世界の本質を教えてくれる

 

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インターネットの登場は確実に世界を変えました。これまで知ることができなかったことも、容易に知れるようになったのです。

 

SNSの登場により、政治家や芸能人といった遠い存在を近くに感じられるようになりました。それにより彼らの人間性を垣間見ることもでき、いい意味でも悪い意味でも、人前に立つ仕事である以上、人間的な素質も求められるようになったのです。

 

ですが、それは以前から同じだったかもしれません。多くの人は勉強のできる人より、人として尊敬できる人に政治家になってほしいと思っていました。

 

新聞、ラジオ、テレビ、これらのメディアは一方的に出来事を伝えるものであって、民意と政治家の意見交換をすることはできません。国民は知らされたことを受け取り、噛み砕き、結末を見守る以外にありませんでした。

 

でもインターネットは、一方的でないのです。

 

世界中の人と瞬時に、意見を交換することができます。匿名である分、良くも悪くも本質が見えます。それは時に凶器にもなり得ますが、物は使いようなのです。

 

SNSはある意味で、嘘発見器の役割も担っていますよね。

 

それによって「それ相応ではない」人間は、排除されるようになりました。これは昔の政治とは大きく違う点で、どんなに立派な公約を掲げても、人としてオツムが弱い人は政治家にはなれないのです。

 

それでも利権があり、派閥があり、名前が勝ちます。なので私は、選挙を信用していません。

 

だから誰が当選したって、そこに興味はないです。

 

ただ相応しくない人間は、いずれ必ず淘汰されます。この時代にSNSを利用しないパフォーマンス好きはいないでしょうし、ボロが出るような人間こそ、目立つのが好きなのです。

 

政治に勉強ができるかどうかは、全く関係ないと思いますよ。学歴も肩書きも親父の偉大さも、そんなものはクソ食らえです。

 

私は本気で、松岡修造さんのような人に政治家になってほしいです。鬱陶しいくらい情熱的で、嫌々言いながらも一緒にやりたくなってしまうような、熱いパワーに溢れた人に惹かれます。

 

一回しかないんですよ、今日も明日も。

 

生まれ変わることはできないし、生き返ることもできないし、振り返れても戻ることはできません。

 

どうせ一回しかないなら、人間の作った勉強という物差しより、情熱という動物的な感情に賭けてみたいです。

 

自分の住んでいる場所の運命を決める人間が、政治家です。

 

私はバカでいいから、ワクワクするような人に、自分が見てる景色を預けたいですね。

 

悪いけど、戦わずして勝てるなら姑息でもいいからそうする

 

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右翼と左翼は本来、どちらも愛国心から来るものです。

 

日本をより良くしたいという答えは同じですが、そこへ至るまでの式が異なります。

 

本来は、右翼も左翼もそういった存在でした。

 

ですが、日本の今の右翼と左翼は違います。特に左は、愛するはずの国が日本ではないように感じることも多いのです。

 

そしてなぜか、そういった人たちは戦うことを望みます。多くの人は銃すら持ったことがないであろうに、一丁前に戦いたがります。

 

申し訳ないですが、多くの人は戦わずして勝てるなら、戦いたくなどありません。怖い思いなんてしたくもないし、誰かを傷付けるなんて望んですることではないのです。

 

穏便に平和的に解決できるのであれば、姑息だろうとずる賢いと言われようと、勝ちは勝ちじゃないですか。

 

日本は戦争を経験して、戦う強さを身に付けることをやめました。身体的な強さではなく、精神的な強さを手に入れることを学んできたのです。軍を持たずに外交に力を入れているのは、そのためではないでしょうか。

 

私はそれがいいと思いますし、賢い選択だと感じています。

 

話し合いより先に爆弾を落とし合う国より、腰低くヘコヘコと、争わずに生き抜く方が平和じゃないですか。腹の中でどう思うかは自由なんですよ。

 

毎日雲のない真っ青な空が見れたら、私は幸せです。

 

季節に合わせて違った星が見られて、

 

キョロキョロしても転ぶことのない安全な道路があって、

 

家のベッドで、ゆっくり眠ることができる。

 

それでいいと思うんですよね。そのために戦いは必要ないし、話し合いで解決できないことはないんですよ。カッとなってやったってよく聞きますけど、それが許されるなら近い将来、人間は絶滅するでしょうね。その結果が戦争だってことは、多くの人がわかってると思います。

 

そろそろ学歴も肩書きもあてにならないって気付きなよ

 

高学歴ほど、突拍子もない罪を犯すと思っています。勉強ができる人ほど配慮に欠け、自己中心的であると感じています。ですが、全員ではありません。もちろん一部の人間の話しです。

 

学歴はある意味、若い頃にどれだけ努力したかの証明ともいえます。

 

ですが、勉強をしなかったことが、イコール努力しなかったことになるのでしょうか?

 

私の友人は中卒で、15歳で塗装工になりました。現在27歳ですが、今も同じ会社で働いています。

 

未だに漢字もまともに書けませんし、ただのバカです。でも、根性と熱意だけはあります。その根性と熱意だけで12年同じ会社に勤め、27歳で年収800万稼いでいるのです。

 

でも彼は世間から見れば、努力していないと見なされます。履歴書に書ける学歴は、中学卒業のみ。その一文だけで評価される、寂しい社会で生きているのです。

 

蓋を開けてみてください。多くの人は、見合わない皮を被っていると気付きます。

 

医師という仕事は尊敬しますが、医師という人間を尊敬するかはまた別です。同じように、政治家という仕事は尊敬しても、人間的に尊敬できるかは別なのです。

 

私は肩書きより人として尊敬できる人に、自分が稼いだ税金を渡したいです。素直なバカの方が、上手くやれることもあるんですよ。

  

政治家に年齢制限を設けるのは、あながち悪くないと思う

 

わざわざテレビの前に出て、誰かやなにかをバッシングしている70代を見ると、それだけでこうはなりたくないと思ってしまいます。カチカチになった頭で自分より歳下の議員をボロクソ言う老人は、本当に寂しく見えるのです。

 

若干20歳で政治家になっても、いいと思うんですよ。若い子にしか見えない世界はあるし、それが大きく日本を発展させる可能性もあります。あまり世界を知らない人間の感じることは、貴重であり重要だと思うんですよね。

 

それと同じように、一定の年齢になったら政治家を辞めるべきです。

 

一生国のことだけを考え続ければ、視野が狭くなるのは当然です。ですが、政治にこそ広い視野が必要であり、狭い世界で話されては国民が困ります。脳みそは確実に衰えます、どんなに勉強ができてもどんなに偉大でも、脳みそも歳を取るのです。

 

それを肩書きと経歴だけで、権力にしがみつく老人の多いこと。惨めで、哀れです。

 

潔く、スタイリッシュに、華麗に、幕を引くことをオススメします。

 

ダサい歳の取り方は、過去の経歴もろとも食い尽くすので気を付けましょうね。プライドに食われる結果になるのが、一番恥ずかしいと思いますよ。

 

差別はしていない、区別してるだけ、その違いを理解して

 

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障がい者を差別するな!という掲示物を、いつだか見かけたことがあります。その時点で、自ら差別されにいってる気がしました。

 

誰も差別はしていません。ですが、区別はしています。仕方ないじゃないですか。全員が全員、同じことを同じようにできるわけではありません。個性がある以上、障がいがあるかどうかも関係なく、この世に区別は必要なのです。

 

障がいがあることを盾に健常者を叩く人がいますが、だからといって気を遣えば、バカにしてるのかと言うんですよ。ただのメンヘラかと思いたくなりますし、障がい抜きにして人として面倒臭いです。

 

私の叔父は生まれつき、下半身不随でした。いとこは耳が聞こえず、父は片眼を失明しています。障がい者に囲まれて生きてきましたが、だからなんですか?可哀想な人はこの世に腐るほどいるし、困ってる人は健常者にも溢れんばかりです。

 

それを差別だと言われたら関わるのも面倒くさくなるし、助けたいとも思わなくなります。健常者を差別してるのが、障がい者なんじゃ?と思うこともありますよ。

 

対等でいたいなら、まずは自分が対等でいてください。その上で、申し立ててもらえると話しが早くて助かります。可哀想と嘆くのは、海に向かって一人でやればいいんじゃないでしょうか。

 

政治家の老害も同じです。

 

老人を差別しているわけではありません。昔のことや経験を、否定するつもりもありません。ですが、今は今の時代の話をしているのであって、あなたの時代の話をしているのではないのです。

 

今の時代にあった物差しを持つことを覚えてください。あなたの時代の物差しでは、既に測れない時代になったのです。

 

その変化が受け入れられないのなら、家のテレビの前で、昔はああだったとかこうだったとか言ってればいいんですよ。わざわざテレビに出てくる必要はありません。どうぞひっそり、一視聴者として政治を楽しんでください。

 

差別はどの世界にも、どの社会にも、必要でないと思います。偏見や色眼鏡はほとんどの場合、本質を見抜けていない結果でしかありません。

 

ですが、区別は絶対に必要です。その人はその人以外に存在しないのだから、能力に違いがある以上、区別することが人のためになるのです。

 

その違いも分からずに、ただ叫ぶだけの人間は哀れです。それこそ自分で自分を差別しているわけですから、寂しいと思わないんですかね。

 

 2019年も好きに生きよう

 

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ということで、2018年も怒涛の1年間を過ごすことができました。やりたいと思えたことのほとんどはできましたし、思い残すことはありません。ただ、祖母と一緒に年を越せないことが少し寂しかったりします。

 

知り合いに、あまり言いたいことを言い過ぎると殺されるぞと言われました。殺される前に仕事がなくなりそうですが、それならそれでまた考えましょう。

 

27歳になっても、平成が終わっても、2019年になっても、私は変わりません。皆さんどうか、好きに生きましょう。

 

来年も何卒、宜しくお願い致します。

 

有難う御座いました。

沖縄の米軍基地について、少々お話しが

こんにちは。

 

昨年の冬は沖縄で過ごしたからでしょうか、今年の冬は異様に寒い気がします。

 

さて、先日書いたブログが思わぬ反響を頂いていました。正直、米軍基地の話しは面倒臭いことに首を突っ込んでいくようなものです。

 

何年も感じていたことはありましたが、書くことには戸惑いがありました。

 

でもメディアという媒体で仕事をしているものとして、実際に普天間で暮らしたものとして、本当は違うこともあると一個人として言っておきたかったのです。

 

あくまでも、一個人の意見でしかないです。

 

決してどちらかに寄るつもりはありませんし、今現在起こっていることや過去のことを否定するつもりもありません。ただ多くの人が考えるきっかけになれば、お互いによりよくなれると思うんですよね。

 

平和って幸せじゃないですか。私は安定が幸せとは思わないけど、不安定の中にも平和はありますからね。

 

ってことで、少々細かい話しをしようかと思います。

 

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普天間基地建設の経緯には、諸説あるのです

 

私のブログに、こんなコメントが届きました。

 

普天間基地は元々人が住んでいたところを、戦争で家を焼かれ逃げた住人が収容されている間に勝手に作られたものですよ。ライターなら調べてから書いてくださいね。宜野湾市役所のホームページから確認できます。
 
 
とても穏やかでありながら的確な文章に、まずライターとして素敵だなと感じました。
 
で、です。調べてみました。
 
とりあえずのWikipediaには、こう書いてありました。
 
 
普天間基地の周辺は沖縄戦での激戦地区で、戦後は、日米両軍の不発弾の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点(もともとの住民が戻ってきただけという話もある[5]普天間飛行場 - Wikipedia

 

この時点で、二つの説が記載されています。

 

この「もともとの住民が戻ってきただけという話もある」という本のタイトルは、

 

沖縄メディアが報じない不都合な真実を知れ! - ロバート・D・エルドリッヂ☓佐藤守対談

 

です。

 

この本が絶対に正しいとも思いませんし、宜野湾市役所に書いてあることが絶対に正しいとも思いません。どちらにせよ諸説ある時点で、人は見たいものを見ているということです。

 

普天間で生まれ育ったおばあは、好きな場所だからここにいたいのよと言った

 

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私が普天間に住んでいた頃、隣には老夫婦が住んでいました。おじいは読谷で生まれ育ち、おばあは普天間で生まれ育った生粋のうちなんちゅです。初めましての挨拶の日から毎日様子を見にきてくれて、遠くから来た私を孫のように可愛がってくれました。沖縄の人の温かさを、ぎゅっと詰め込んだような二人でした。

 

おばあは普天間で生まれ育ち、戦争を経験しています。それまで聞くのをためらっていたのですが、ある日ふと聞いてみたんです。

 

「おばあは、普天間が好き?米軍をどう思うの?」

 

パパイヤチャンプルーを作ってるときだったかな、一緒にキッチンに立ってそんな風に聞いてみました。

 

おばあはちょっとだけ笑いながら、こう答えてくれました。

 

「私は普天間が好きで、ここにいたいからここにいるのよ。私も嫌なことがあるけど、きっと彼らにも嫌なことがあるの。でもそれ以上に、もう戦争をしたくないのは同じじゃない?」

 

実際は方言まみれだったのですが、うーん。

 

諸説あるということは、多くの人は事実ではなく、見たいものを見ているわけじゃないですか。正解不正解というのは時に事実と異なることがあって、その中には感情という色眼鏡を通している場合も多いんです。

 

おばあと同じ世代の方に「東京の奴は嫌いなんだよ」と言われ、以後、同じ町内で無視されるようなこともありました。それがその人の見たい「東京の人」であり、その人の信じたい「東京の、諸説のうちのひとつ」なんですよね。

 

それに対して「お前は間違ってる」とか「私が絶対に正しい」と、言い争う意味はありますか?

 

ライターとしてではなく、一個人として多くのメディアを信じていない

 

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もうこれで仕事がなくなっても構いません。

 

ライターは記事作成にあたり公的機関のサイトを参照とすることが多く、信用度はどのメディアよりも高いとされています。

 

でもそれらの情報が「絶対に正しい」と、私は思いません。

 

だから正直、辺野古で講義を行う人が沖縄県民ではないという話しを聞いたとき、しっくりきました。実際に普天間に住んでいて、あれをする人が本当にここにいるのかと疑問を感じていたからです。

 

私の住んでいた家の大家さんは、辺野古建設に関わる建設業をなさっている方でした。生まれも育ちも普天間の隣、喜友名地区です。彼は「辺野古に移設したら普天間が返ってくるんだよ、ありがたいよ」と言っていました。

 

米軍基地周辺には、お店がたくさんあります。飲食店にアパレル、クラブ、多くはアメリカンカルチャーをヒントにしていて、狙っている客層が米兵さんであることも少なくありません。

 

また米兵さんは基地内だけではなく、基地周辺に賃貸物件を借りて暮らすこともあります。彼らは日本人よりも高収入であり安定しているため、普天間で月20万円のマンションも満室になるのです。

 

米軍基地が周辺にもたらすものは、騒音だけではありません。彼らは基地周辺にお金を落とし、それで潤う人間がいるのです。叩いてばかりですが、実際その辺を話さないのはなぜでしょうか?

 

主張するべき場所が間違っているし、もっとできることがあるはず

 

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沖縄の人はよく働いていると思います。労働時間は長いし、掛け持ちも多くの人がしています。そうしなければ生活できないほど最低賃金は安く、そのくせに物価は高いんだから話になりません。

 

ですが、それと同じだけ働かない人も多いのです。東京とは違い、実家で何世代もの人が暮らしている家庭も多いので、若い子でもがむしゃらに働く子と親のすねかじりには、大きな差があるように感じました。

 

琉球大学を卒業して公務員になり、新宿のハローワークで働いている子がいます。彼の言っていた言葉が、すごく印象的でした。

 

沖縄県民には、二通りしかいない。大学を出てまっとうな会社に勤めて、人並みの暮らしができる人。もしくは中卒で結婚して遊んで…分かるでしょ。どっちかしかないから、俺は必死に勉強したよ。母ちゃんひとりだしな。」

 

彼の言ってることが正しいとは思いませんし、仮に二通りでもどちらが幸せかはその人が決めることです。でも、ここをもっと訴えた方がいいと思うんですよ。

 

正直、基地問題よりもやることありますよね?

 

まず夜の20時過ぎに子どもだけで、スーパーやコンビニをうろついているのはおかしいと思いませんか?どうして深夜日付が変わっているのに、親が子どもを連れてマンガ倉庫にいるんでしょうか?平日ですよ?次の日学校は?

 

沖縄の男性は全国平均の中でも、背が低いことをご存知でしょうか?それと子どもの夜更かしが関係していることくらいは、分かりますよね?学力が低いのもなんでだか、ここまで考えれば分かるじゃないですか。

 

この時代に子だくさんで、たくさんの子どもをご近所同士で育てているのはすごいと思います。東京は人混みに子どもがいると嫌悪感丸出しなので、その辺は沖縄の人を見習ったらいいんじゃないかと思う部分もあるのです。

 

だから米軍基地だのなんだのと、実際、住んでいてもほとんど関係ないことに労力を使うよりも、国に訴えるべきことは他にあるじゃないですか。

 

沖縄では最低時給じゃ絶対に暮らしていけないし、暮らせたとしても一人暮らしで車を持つことは不可能といってもいいと思いますよ。そのくらい貧困の家庭がたくさんあって、たった時給700円ぽっちでは、いくら働いたって追いつかなくて当たり前です。

 

龍の銅像だか置物だか知らないけど、そんなものを作ってるお金があるなら、もっともっと子どもたちのために使うべきなんですよ。

 

私の友達は伊良部島出身で、彼は「沖縄は視野の狭い人が多くて疲れるから、死ぬまで帰ることないね」と言っていました。

 

そんなの寂しくないですか?それともそういう人は排除していくんですかね。

 

そんなことをする方が、よっぽど寂しいと思いますけどね。

 

こだわる意味より、変えていくことに集中してみたら?

 

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伝統的な文化や風習、方言もそうだし、沖縄にはこだわりがいっぱいあります。それが沖縄の良いところであり、個性で、みんなが欲しがるものです。

 

なのにメディアに映る沖縄は、悪い意味でこだわるところばかり映し出されて、本当にもったいないことをしてると思います。

  

今すぐに変えることはできなくても、変えられることから変えていく方法はありませんか?

 

米軍基地は正直、東京の人には遠い世界の話です。普天間基地周辺とほぼ同じ密度といわれている横田基地周辺は、東京都です。でも、普天間ほど騒いでいないのです。

 

それよりも子どもの方がずっと危機感を覚える問題で、解決するべきだと多くの人は分かっています。私は、ママと子どもだけの車両を設けた方がいいと思いますよ。

 

もう少しだけ、人を煽る方法を学んだ方がいい

 

でも、沖縄はアプローチの仕方が少し下手だと感じます。

 

普天間の小学校に、部品が落下したことがあるじゃないですか。あの小学校は普天間ではなく、隣の喜友名という地区にあるのですが、喜友名と普天間は隣同士なのでほぼ同じなんですよ。

 

で、その喜友名で生まれ育ったおじいが、テレビで「子どもが危険だ!出て行け!」と騒ぐ地元の人と紹介されている人を見て、「こんなことを言う奴は喜友名にいない」と言っていました。

 

おじいは米軍から恩恵を受けています。その分、嫌な思いもしています。でもそれはお互い様だと分かっているから、喜友名に住み続けるのです。

 

行き先はたくさんありますし、家はいくらでも空いています。自分の子どもが心配で何よりも大切なら、その場を離れるという苦労と選択をなぜしないのですか?できないのではなく、しない理由はなぜでしょうか。

 

御涙頂戴では、この世界では生きていけません。悲劇のヒロインになって救われるのなら、多くの人がそうしますよ。でもなぜそうしないのか、救われないと分かっているからじゃないんですかね。

 

でも学校に通えないほど貧困であれば、話しは別なんです。手を差し伸べたいと思っている人は、たくさんいます。子どもが大人の事情で、やるべきことをやれないのは残酷すぎます。

 

せめて最低限のことができるようにと、それはして当たり前だと感じてる人たちは、絶対に助けてくれるんですよ。

 

そのためにはアプローチの方法を変えて、助けてくれる人と同じだけ、最低限やるべきことはやらなくちゃいけないんです。それが誠意であり、助けを求める側の姿勢ではないですか?

 

メディアを使えば、たくさんの人を煽ることができます。

 

本当に解決するべきことがあるなら、メディアは賢く使わなければ、良くも悪くも影響力を生むことになるのです。逆手に取れば変えられることはいくらでもあるのに、本当方向性を間違えてます。

 

 

 以上!終了!

 

 

人生26年目は、人生で最も壮絶な歳だった

こんにちは。

 

最近マクドナルドにハマっているのですが、いい感じに太ってきています。女の子は絶対にむちむちの方がいいと思うんですよね。適度な肉付きと健康的な体はエロスです。

 

さて、あと数日で私の26年目が終わろうとしています。

 

色々あり過ぎてかなり長文になってしまうのですが、お付き合い頂けると幸いです。

 

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人のために生きて、人のために笑って、とにかく泣いた

 

人生26年目の時系列は、以下の通りです。

 

  1. 祖母が亡くなる
  2. 婚約者に出会う
  3. 沖縄移住から帰京
  4. 仕事のジャンルを大幅に変更
  5. 再婚するかしないか揉める
  6. 妹が結婚
  7. 福生にお引越し

 

細かく振り返ってみることにしましょう。

 

人生26年目で、ついに祖母が亡くなった

 

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私は異常なほどのおばあちゃん子なのですが、小学生になるまで祖母と二人暮らしだったことが大きく影響しています。祖母は私にとって母であり、親友であり、掛け替えのない存在です。

 

そんな祖母も歳を取っていることは分かっていましたし、人はいつか亡くなるということも理解はしていました。それでも私の祖母が亡くなることは考えられず、亡くなるその日までビクビクしながら過ごしていた記憶があります。

 

26歳になってすぐに祖母が緩和ケアへ入院したと連絡があり、年明けと共に東京へ帰りました。モルヒネを打ち始めてすぐの頃はまだまだ元気で、死ぬなんて考えられないほど生き生きとしていました。

 

「もう一度歩きたい」という祖母の腕を抱え、今になれば最後になってしまいましたが、病院内を二人でお散歩したのです。

 

その10日後に、祖母は亡くなりました。

 

「誰にも言えないけど、自分の子どもよりもりなちゃんが好きなのよ。おかしいわよね、でも本当にあなたに出会えてよかった。」

 

それが、祖母との最後の会話でした。

 

ほぼ毎日病院に泊まり、仕事も病室でやらせてもらっていました。祖母のそばにいながら仕事ができたことは、本当に感謝しています。

 

祖母が亡くなったのは真冬だったのですが、春になるまで誰にも会わず、外にも出ずに過ごしていました。仕事はしていましたが、なにも手に付かなかったのです。

 

気付けば泣いていて、理由も分かりませんでした。ただ心に大きな穴が空いて、祖母のいない世界で生きていくことに大きな不安がありました。

 

幼い頃「おばあちゃんが死んだらりなも死ぬから!」と口癖のように言っていたのですが、人生26年目の最初の出来事は、生きている中で一番辛かったです。

 

そして春が来て、今までなんともなかった花粉症に初めてなりました。祖母は重度の花粉症だったので、要らぬ置き土産をもらったなと思いながらも、祖母を感じられるのが嬉しかったです。

 

婚約者に出会い、毎日に色をもらえた

 

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祖母が亡くなった後、タバコとレモンティーを箱で買い込み、とにかく家に引きこもりました。沖縄に戻らなければいけないのも分かってはいましたが、沖縄にいる友人に優しくされることを考えると、それもまた辛かったのです。

 

母や親戚にいつ帰るんだと催促されている最中、婚約者に出会いました。

 

私は今までお付き合いした方とほとんど喧嘩をしたことがなく、割と穏やかで安定した付き合いをしてきました。ところが、婚約者の彼とは会ったその日に大げんかをし、デートも早々に別々に帰るという展開を迎えました。

 

冷静に考えると、意味が分からないですよね。いい歳した大人が二人、知り合ったその日に新宿駅で大げんかをして「帰るわ、二度と連絡しないで」とキレてたんですよ。

 

その後もほぼ毎日のように喧嘩をし、私は人生で初めて人に向かって怒鳴るということをしました。母には「なんで付き合ってるのか理解できない」と言われましたが、当時の私も、なぜそこまで執着するのか分かっていませんでした。

 

 でも似た者同士で、求めているものが同じなのです。だから喧嘩をして仲直りをして、また喧嘩をする。その繰り返しで本質が見えるようになってからは、喧嘩の回数も減っていきました。

 

彼は祖母がいなくなった世界に色と、歩き始めるきっかけをくれました。

 

この人のためなら、もう少し頑張れるんじゃないか。

 

それが再婚に踏み切った理由です。

 

沖縄から東京に戻ることを決めた

 

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一生沖縄にいるつもりはなかったので、いずれ沖縄から出ることはあらかじめ決まっていました。沖縄移住からの帰京という決断に大きく関わったのが、「ライターとしてのあり方」だったのです。

 

当時の私は沖縄に関する記事をメインに執筆しており、それ以外の仕事はペットジャンルでの仕事がほとんどでした。沖縄在住という肩書きは強みだったのですが、本来私がやりたいと思っている仕事ではなかったのです。

 

ですが、その頃はまだライター1年目で、仕事を選んでいる余裕はありません。

 

日々与えられた仕事を有難くこなしていたのですが、祖母が亡くなってから自分の人生をよく考えるようになったのです。

 

このままでいいのか?

 

せっかくフリーライターになったのに、これがやりたいことなのか?

 

この先の景色が見たくて、頑張っているのか?

 

それなら、本当にこの先の景色を欲していると言えるのか?

 

そう考えたら私にとって沖縄は求めているものではなく、ペットジャンルでの執筆も望んでいないとはっきり分かりました。

 

思い立ったが吉日、晴れて都民に舞い戻ったのです。

 

「書いたことはないけど、書かせてほしい」と、頭を下げ続けた

 

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帰京と同時に、今までのクライアントにさようならを告げました。沖縄に関する記事はもちろん、保護犬ボランティアに関する記事も全て切ったのです。

 

誰にも言っていませんが、この頃少しだけアルバイトをしていました。全ての仕事を切ったので、無収入になってしまったんですよね。そうしてでも、自分のやりたいことを押し通しました。

 

そして、とある新聞社に拾ってもらったのです。

 

私はどちらかというと理論的な文章が好きで、柔らかく親しみやすい記事よりもお堅い記事を好む傾向があります。更に物理学というマニアなジャンルが大好きなので、新聞社に拾ってもらえたことはとても大きく影響しました。

 

未経験で新たなジャンルに飛び込むことは容易ではなく、何百というクライアントに断られました。それでも心が折れなかったのは、私らしく生きることを優先していたからです。

 

私は望んで、ライターという仕事に就きました。組織に属するという選択をせずにフリーランスになった以上、自分のやりたいことをやるのが当然だと思っています。そのために苦労するのもまた当然であり、アルバイトをしていることも楽しかったのです。

 

勇気のいる決断ではありましたが、祖母が亡くなってようやく、人生の指針をはっきりさせることができました。

 

一緒にいたいだけなのに、お互いに上手くいかないことがあり過ぎた

 

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再婚を決めてから実際に婚姻届を提出するまでの間、本当に色々なことがありました。

とにかく目まぐるしいほどに問題が起こったのです。

 

元々喧嘩ばかりしていた二人です。

 

「もうどうでもいい!」とどちらかがキレてしまえば、それで終わってしまいます。なんとか落ち着かせようと努力していた私も、仕事の路線変更で上手くいかないこともあり、ついに匙を投げてしまったんですよね。

 

クライアントにも親戚にも再婚すると話した後だったので、誰にも言うことなく婚約は破棄になりました。

 

それでもなんだかんだと付き合い続け、また結婚の話が出ていますが、実際に籍を入れ終わるまでは母にも話さないと決めています。

 

知り合ったその日に喧嘩をし、私はすぐに沖縄に帰ってしまい、東京に戻ったと思ったら彼はお母さんの面倒を見なければならず、ほとんど会えない日が続いていました。そんな中で結婚することは不可能に近かったので、今では、もう少し落ち着いてからでもよかったねと笑い話になっています。

 

ずっと赤ちゃんだと思ってた妹が、まさか結婚すると言い始めた

 

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私の妹は昔からTHE末っ子のタイプで、気に入らないことは泣いて騒いで解決しようとする子どもでした。得意技は「刺すよ」と言いながらフォークを向けることで、女王様のような妹です。

 

でもそんな妹が可愛くて、小さい頃からずっと一緒にいました。

 

そんな妹も今年で24歳になるのですが、前々からお付き合いしていた方と結婚すると言い出したのです。お相手の方はとてもいい人で、女王様にお似合いの優しい男性です。

  

どんなに大きくなっても私にとって妹は、永遠に赤ちゃんのままです。手取り足取り面倒を見たくなるのは今も変わらず、母よりも妹に構っています。そんな妹も嫁いでいき、残す不安は独り身の母だけになりました。

 

新しい引越し先は、横田基地の目の前

 

沖縄在住時は普天間基地の目の前に住んでいたのですが、次の引越し先は横田基地の目の前にしました。

 

理由はいくつかあるのですが、ここで少し米軍基地について話したいと思います。

 

米軍基地が必要な意味を理解出来ない奴は、脳みそが終わってる

 

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先に言いますが、右にも左にも肩入れするつもりはありません。あくまでも、個人的な意見です。

 

そもそも普天間という土地には何もなく、沖縄本島で一番の高台だったことから米軍基地の建設が始まりました。空軍は戦闘機や輸送機をメインにしているので、広い土地と余裕が必要です。そこで選ばれた普天間には、そもそも「何もなかった」のです。

 

後から民家や学校を建設したのですが、後から入ってきた人間が「お前らがいると私たちの身が危ないから出て行け」というのは、頭に虫でも沸いているんでしょうか。

 

危険を回避するための辺野古移設であり、それに伴う代償は「あって当然」なのです。この世界で何も失わずに何かを手に入れることは不可能であり、それは誰の人生にも該当することです。普天間だの辺野古だの、沖縄だけが悲劇のヒロインではないのです。

 

お台場に米軍基地を建設することは可能ですし、東京の海を潰すことはいくらでもできます。ですが、沖縄は毎年何億という税金をもらっていますよね。お台場のある東京都港区は日本で一番世帯収入が高いのですが、その土地の分だけ、沖縄県民は稼ぐ意思があるのでしょうか?

 

ないですよね、無理ですよ。寝言は寝て言えと言われるのは、何もしたくないけど何も奪われたくないと、アホなことを叫んでいるからです。

 

辺野古の海を守りたいのなら、やんばるを切り開いて街を作ればいいのではないでしょうか?普天間の人たちがやんばるに移り住めば、危険なのはハブくらいで、米軍基地に怯えずに済みます。

 

ではなぜ、そうしないのか。

 

それはやんばるの自然を破壊したくないからではなく、単純に普天間という場所が便利だからです。それを察して米軍側が、「だったら俺たちが田舎へ行くから、お前らに便利な方を譲るよ」と言ってくれているのに、何が不満なのか理解できません。

 

自然破壊をしたくないのであれば、まず車社会であることを考え直してください。歩くのは嫌い、自転車も嫌い、ゆいレールは意味もなければバスは時間も守りません。

 

異様にポイ捨てが多いことも考えるべきです。観光業に力を入れるのはいいと思いますが、ホテル建設のためにどのくらい自然を破壊したのでしょうか?そうして壊した自然から、いくら収入を得てどのくらい潤ったんですかね?

 

自分のことを棚に上げて相手を叩いてばかりいるから、まともに相手にされないんですよ。どうしてそれが分からないのか、不思議でなりません。

 

働かず借りたものも返さず、身内びいきの結果が、模合で裁判を起こすような土地柄であることを、彼らは理解していません。沖縄は好きでも沖縄県民を毛嫌いする理由は、そこにあります。

 

沖縄に米軍基地という脅威があるからこそ、中国とズブズブの関係を続けられているんですよ。彼らがいなければ、あっという間に中国に利用されて、沖縄は沖縄ではなくなります。その意味を理解出来ないのであれば、歴史と世界情勢を一から勉強しましょうね。

 

あー、ずっと言いたかった!

 

私は米軍基地周辺のアメリカンカルチャーに惚れている

 

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で、です。

 

なぜ私が米軍基地周辺を好むかというと、昔からアメリカンカルチャーが好きなことが関係しています。一時アメリカに移住する話が出ていましたが、行けない状況になり、しばらくは日本にいなければなりません。

 

それでもありきたりな場所で普通のマンションを借りることは許せず、横須賀か横田かの二択しかありませんでした。

 

横須賀が第一候補だったのですが、何しろ遠いんですよね。

 

クライアントとの打ち合わせは基本的に山手線沿線ですし、実家は埼玉県です。友達に会うことも考えると、横須賀は少し遠すぎました。

 

そうして横田基地に決めたのですが、普天間同様、横田基地福生市という場所にあることすら知らなかったのです。必死になって「東京都横田市」と検索したのですが、出てくるはずがありません。そこで初めて、福生という地名を知りました。

 

中央線で一本、新宿までは一時間以内です。住む以外の選択肢はありませんでした。

 

私は家を選ぶとき、歩いている人や街の雰囲気、聞こえる音を重要視します。たくさんのアメリカ人が行き交い、アメリカンカルチャーを感じることができ、大好きな輸送機の騒音を聞くことができるのです。(実は飛行機マニアです。)

 

天国かと思うほどピッタリの条件だったので、迷う理由はありませんでした。

 

人生26年目は激動だったけど、たくさんのものが得られた年

 

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とにかく色々なことがありました。もういいよと言いたくなるほど、目まぐるしい毎日を過ごしてきました。

 

嫌でも対応しなければならないことに溢れ、嫌でも成長しなければいけない状況が続きました。いつ終わるか分からない苦しみの中でもがいていたことは、今になれば有難いと思うのです。

 

これだけの状況に対応できてしまう自分を誇らしく思いますし、まだまだ可能性を感じることができました。限界はないんだと、そう実感したのです。

 

27年目がどうなるかは分かりませんが、きっと毎日笑ってへらへらと過ごしています。

 

でもひとつだけ…すてきなおばさんにはなりたいかな。

宗教と無縁の日本人に、宗教を教えるの巻

こんにちは。

 

猛烈なスピードで追い込みをかけているのですが、年齢と共に体が言うことを聞かなくなってきました。悲しいですが、時間には逆らえません。

 

さて、私のブログのトップアクセスは、ほとんどキャバクラ関連の記事が占めているのですが、その次がまさかの「無宗教主義者が思う、宗教のこと」です。

 

stella-lee.hatenablog.com

 

日本人のほとんどは仏教徒でありながら、無宗教ですよね。宗教によって戦争を始める国もある中で、ここまで宗教に無頓着な国もなかなか珍しいかと思います。

 

宗教と聞くとなんだか怪しいものを思い浮かべる人も多いと思いますが、世界中では心の拠り所として宗教を必要としている人がたくさんいます。

 

そんな価値観の違いについて、お話しようかと思います。

 

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日本人が宗教に興味を持てないのは、オウムのせいもある

 

私もそうだったのですが、宗教って怪しいじゃないですか。神様なんて目には見えないし、信じてなんの得があるの?と思ってしまいますよね。

 

ではなぜ、初詣に行くのでしょうか?葬式だの四十九日だの、法要だの法事だの、そんなことを律儀に守るのは、なぜでしょうか?

 

仏滅に婚姻届を出すのは良くないと言われ、多くの人が大安に婚姻届を提出します。それでも離婚する人がいるのは、仏滅も大安も関係ないからではないでしょうか?

 

なんてことは、多くの人が頭では分かっていると思います。

 

日本は、仏教徒の国ではありません。仏教の教えが「習慣化」しているだけであって、信仰しているかと言われるとそれはまた別の話なんですよね。

 

信じてはいないけど、やらなくてはいけないこと。

 

ほとんどの人はそういった認識ではないでしょうか。

 

昔の日本では、お坊さんや住職さんは位の高い仕事として認識されていました。

 

ですが、時代が変わり、法事に高級外車で乗り付けるお坊さんや、未成年と性交するお坊さんが逮捕され、だんだんとお寺や神社に対する意識が変わってきました。

 

キャバクラ時代、仏教大学の学生が指名のお客様だったこともあります。

 

外国と交流を持つようになってからは、キリスト教ムスリムなど様々な宗教があることを多くの日本人が知ったのです。

 

そして右だの左だのと宗教じみた団体が顔を出すようになり、極め付けがオウム真理教でした。彼らのせいで日本人が宗教に対して、色眼鏡を持つようになったのは間違いないといえます。

 

ですが、先に言っておきます。

 

ここ数年騒がれていたイスラム国が弱ってきたのと同じで、「正しくないもの」は長続きしません。その中でも仏教、キリスト教ムスリム世界三大宗教と呼ばれる3つの宗教が、人と同じだけの歴史を信仰されてきたのには意味があるのです。

 

皆さんが見ている宗教は、正しくないものの方が多いかもしれません。信仰しなければ幸せになれないというのは、大きな間違いです。宗教は本来、そんなに安っぽいものではないのです。

 

当たり前のことが当たり前のようにできるように、それが本来の宗教の教え

 

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私はお賽銭が理解できません。名前は出しませんが、どこかの宗教団体には「上納金」が存在するらしく、そのお金で潤っている「神様」がいるらしいです。

 

おかしいと思いませんか?

 

なぜ神様にお金が必要なんでしょうか?目には見えないのに、この世に人間として存在しているわけではないと誰もが知っているのに、なぜ、お金が必要なんですか?

 

お金は物々交換をするチケットです。そのチケットがなければ、この社会で生きていくことはほとんど不可能と言っても過言ではありません。

 

ですが、神様という存在は「完璧」なはずです。なぜ完璧だといわれる存在が、物々交換のチケットを欲しがるのでしょうか?そのチケットをもらって、完璧以上になにが欲しいというのでしょうか?

 

そんな薄汚い、安っぽい神様を信仰している時点で、人として神を疑うのは当然といえます。

 

当たり前ですよね。多くの人は神様と違って、完璧ではありません。そして生きるためにはお金が必要で、お金によって生かされることもあるのです。でも神様はお金がなくても、神様でいられるじゃないですか。

 

その矛盾に気付く人が出てくると、イスラム国のような結果になるわけです。

 

三大宗教が呼ぶ「神様」は「無限の愛のパワー」を表しています。

 

「隣人を愛せよ」「貧しいものにはパンを分け与えよ」

 

これは神の教えなどではなく、愛と優しさを分け与えることで、自分の人生をより豊かにすることができると言っているのです。

 

 友達には優しくしなさい、してもらったらありがとうと言いなさい、傷付けてしまったらごめんなさいと謝りなさい。

 

多くの親御さんはそのように子どもに教えますが、それと同じことを言っているだけなのです。

 

なぜわざわざそんなことを言うのかというと、多くの場合、親がそれをできていないからです。人は歳を重ねるごとに頭がこり固まり、自分が一番正しいと思うようになります。

 

そんな驕りを持って生きれば、いつか痛い目に合うぞ。

 

その教訓が、宗教なのです。

 

 三大宗教に、大した違いはない

 

宗教戦争のほとんどは、キリスト教ムスリムの戦いでした。どちらが正しいとか、間違っているとか、そんなことのために人は殺し合いをしてきたのです。

 

では、どちらが正しくてどちらが間違っているのか、いい加減決めたらいいじゃないですか。

 

でも今日の今日までその答えが出ないから、また人は人を殺すわけですよね。ということは、です。

 

どちらも正しいし、どちらも間違っている。

 

が、正解ではないでしょうか。

 

そもそも「完璧ではない人間」が「完璧である神」に対して、正しいとか間違っていると判断すること自体に疑問を感じますが、どっちでもいいし、どうでもいいです。

 

三大宗教は勉強すればするほど、同じ意味を語っているとしか思えません。言葉や文脈が異なるだけで、言いたいことは同じなのです。

 

人として当然のことを、当然のようにできるように。

 

その教訓が詰まったものが「宗教」であり、それを忘れぬ教えとして、完璧な存在である神がいて、そこを目指して歩むことで豊かになれるのです。

 

誰だって神様になれるし、神様は人に神になれと教えている 

 

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履き違えないでください。

 

どこかの独裁者や、過激派宗教の代表者が正しいと言っているわけではありません。

 

彼らは神の意味を履き違え、自分の思い通りにしようとしているだけの、浅はかで貧しい人間です。

 

神様は無限の愛のパワーだと先ほど話しましたが、三大宗教はこの「無限の愛のパワーになれ」と人に教えています。

 

限りない愛と優しさを持つこと。

 

そしてその愛と優しさを、限りなく注ぐこと。

 

見返りがないのは当然であり、愛と優しさはそれ以上でもそれ以下でもない。

 

でもそれだけが、人生に光を与え、豊かにする。

 

三大宗教が言いたいのは、これだけです。たったこれだけのことを分からせるために、ものすごい量の言葉を並べて分厚い本を作ったのです。

 

逆に捉えると、人はそこまでしないと分からない動物でしかないのです。

 

同じことを繰り返し、もうしないと誓い、また同じことをする。

 

そんな愚かな人間に当たり前のことを教えるためには、あのくらい分厚い本と長い歴史が必要だったのです。にも関わらず、未だに多くのことを学べていない辺り、人間らしいともいえます。

 

私たちは神にはなれません。ですが、神へと近づくことが、自分の人生を豊かにする近道なのです。

 

そのために必要なのは、信仰でもお金でも律儀に決められたことを守ることでもありません。

 

困っている人に手を差し伸べ、自分にできることを精一杯やり、してもらったら感謝を伝え、何かしてしまったら素直に謝る。

 

たったこれだけで、これ以上でもこれ以下でもないのです。

 

 無宗教主義者こそ、愛と優しさの大きさを知るべきであり、語るべき

 

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なにかに固執することは、自分の首を絞めることにもなりかねません。信じるがあまりに、痛い目にあうこともあるのです。

 

イスラム国の少年は、殺人によって世界は救われると信じていました。イスラム国以外の人間を消滅させれば、世界はアッラーが望むものになるんだと。

 

でもその教えを信じるがあまりに、少年は殺されたのです。息が途絶えてしまっては、世界を変えることなどできません。

 

ウサーマ・ビン・ラーディンは殺される瞬間、背中を丸め、死から逃げようと必死になっていたという話があります。ダサくないですか?あれだけ自分たちのしていることが正しいと叫んできた人間が、最期は死にたくないと子どものように懇願するんですよ。

 

それは自分で自分の首を絞めていることに、少なからず気付いていたからではないでしょうか。

 

所詮、人は人でしかなく、誰も神にはなれない。

 

だからこそ教訓として宗教が存在し、その教えを守ることで、我々の愚かさを学びに変えようとしているのです。

 

無宗教主義者の多くは、この事実を知っています。知っているからこそ、宗教に執着することになんの意味もないと分かっているのです。

 

木を見て森を見ずの人間の肩を叩けるのは、森を見ている人間だけです。

 

そうして少しずつ多くの人が気付いていけば、いつか本当の世界平和が訪れるのではないでしょうか。

キャバクラで働いていたことは、デメリットになるのか

こんにちは。

 

久しぶりに風邪を引いて病院に行ったら、まさかの風邪ではなく喘息でした。

 

「この時期に風邪でもインフルエンザでもないって、面白いね」と医者は言っていましたが、全く面白くないのでさっさと治してほしいものです。

 

さて、ライターになりたての頃、キャバクラで働いていたことを公言するつもりはありませんでした。働いていた本人としては隠すようなことでもなく、多くのことを学べた分、キャバクラという仕事に感謝している気持ちもあります。

 

ですが、社会的評価は違います。

 

偏見の塊のような仕事を堂々と公言することによって、デメリットはあるのか。

 

そんな話です。

 

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世間から「どう見られるか」という自覚が必要

 

これを分かっていないキャバクラ嬢は、はっきり言ってただの痛い子です。

 

どの仕事にも「レッテル」があり、実際の業務内容や社会的貢献度、その人の人間性に関わらず、レッテルによって評価される部分が大きいのが現実です。

 

キャバクラを含む水商売、風俗といった仕事は、偏見を持たれる仕事の中でもトップクラスのレッテルを貼られています。残念ではありますが、社会的評価はとても低い仕事です。

 

昔、新宿のゴールデン街に入り浸っていたことがあるのですが、そこでお姉さんに、

 

「バカな女は体を使って稼ぎ、賢い女は頭を使って稼ぐのよ。あなたはどちらになりたいの?」

 

と聞かれたことがあります。

 

当時の私はキャバクラに勤めていたのですが、決してバカにできる仕事ではないと思いました。ですが、それが世間の一般的な評価なんですよね。

 

そんな社会的評価に対して、歯向かう必要はありません。

 

わざわざ同じ土俵に立つよりも、私は私で、精一杯頑張ればいいだけなのです。

 

そこを履き違えてしまうと、ただの痛い水商売女になってしまいます。

 

社会的評価は理解しつつも、自分にできることを誇りを持って精一杯やる。その結果が、ナンバーワンではないでしょうか。

 

自分をブランディングするにあたって、全てさらけ出すと決めた

 

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ライターになったばかりの頃、私は自分をまっとうな社会の中で生きてきたと語っていました。キャバクラで働いていたことは公言しませんでしたし、フリースクールやホームレスについても黙っていました。

 

社会的評価を気にするあまりそういった選択をしたのですが、ライターとして半年が経った頃、そんな自分に限界を感じたんですよね。

 

私にしか書けないこと、紡ぎ出せない言葉、語れない経験があるのに、人の目を気にしてもったいないことをしているのではないか。

 

そんな思いに駆られるようになりました。

 

そして「ブランディング」という言葉を知り、思い切って公言することにしたのです。

 

もちろん仕事を失う覚悟でしたし、誰かに嫌われても構わないという思いでした。

 

そんなことよりも、自分のしてきたことに少しでも後ろめたい気持ちを持ったまま、ライターという仕事をしている方が嫌だったのです。

 

誰がどう思うかは、充分に理解している。

 

だからこそ、私は私の生きてきた道で、正々堂々勝負しようと決めたのです。

 

自分のしてきたことに誇りがあるから、願い下げができる

 

キャバクラで働いていたからといって、仕事を断られたことはありません。

 

逆にキャバクラで働いていたからと、仕事をいただけることはありました。フリースクールやホームレスについても、同様の反応をいただけたのです。

 

公言しようと決めたとき、文句があるならかかってこいよ、そんな気持ちでいました。

 

私は私の選んだ仕事に誇りを持ち、精一杯努力してきた自信があります。それはキャバクラだけではなく、今までの仕事もこれからの仕事も同様です。

 

確かに社会的評価は大事ですし、それらを含めて仕事を選んでいる方も多いかと思います。多くの人が、アルバイトではなく正社員に執着するのはそのためですよね。

 

でも大切なのは、社会的評価だけではないのではないでしょうか。

 

私の妹は大学を出て就職し、2年間で2度転職しました。

 

入社早々ゴールデンウィークにはうつ病を発症し、どちらも1年ほどで退職。

 

何もすることがないという妹にアルバイトをしたらどうかと話したら、

 

「せっかく大学を出たのに、誰にでもできることをしたくない。」と言っていました。

 

彼女は社会的評価を気にして、大学進学を決めました。

 

社会的評価を気にして正社員に執着し、社会的評価を気にして、大学を出なければできない仕事にこだわっているのです。

 

ですが、その結果がうつ病の無職では、元も子もないと思うんですよね。

 

誰にでもできることすらできていないのに、どの口が言ってるんだと。

 

人様にどう思われるかを気にするのは、とても大事だと思います。社会の中で生きている以上、自分の評価だけではないこともたくさんあるからです。

 

ですが、根本的な部分は、

 

自分だけが、

 

親しい人だけが、

 

分かってほしい人だけが、

 

理解してくれていれば、それでいいのではないでしょうか。

 

私は、過去も含めて私です。

 

してきたことを否定して暮らすよりも、そんな自分に胸を張って生きる方が、別の意味で、社会的評価は上がると思うのです。

 

キャバクラ嬢こそ、謙虚で、エレガンスであれ

 

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偏見の多い仕事こそ、謙虚であるべきだと個人的に思います。

 

キャバクラ嬢は確かにIQの低い子が多いですし、この子大丈夫かな?と心配になるような子もたくさんいました。学力は低く、使う言葉も決してきれいとは言えません。

 

だからこそ、謙虚であるべきなのです。

 

わざわざ噛み付かず、わざわざ同じ土俵に立たない。

 

それがエレガンスさにつながり、人としての魅力を増し、別のアプローチで社会的評価を上げることができるのです。

 

私はキャバクラ嬢時代も、キャバクラ嬢に見えないことを心掛けてきました。

 

ミニスカートに安っぽいアウターを着ている子が多い中、バーバリーのコートにダイアナのハイヒールを履いて出勤しました。同伴だからと下品な格好はせず、ビジネスマンと会うときのように、誰が連れて歩いても恥ずかしくない格好を心掛けました。

 

定番のピンクやレース、フリフリは絶対に買わず、シンプルで清潔感があり、女の子ではなく女性らしい格好をしていました。

 

偏見がある仕事なのです。偏見を持たれる格好をすれば、その評価はより色濃くなります。

 

人は見た目ではありませんが、多くの場合は見た目で判断されます。

 

容姿の良し悪しではなく、格好はとても重要です。ファーストインプレッションを間違えれば、その後の評価にも影響してくるのです。

 

上品なエロスと下品なエロスは、全くの別物です。

 

きれいな言葉を使い、謙虚で、上品で、エレガンスな魅力がある。でも内側には、自分のしていることに確固たる自信を持っている。

 

そんな人間がいたら、キャバクラというレッテルを剥がしてみたくなりませんか?

 

自分が相手の土俵に立つのではなく、相手を自分の土俵に立たせるのです。

 

賢い人は負ける戦をしません。確実に勝てる戦をこちらから準備し、相手を引き寄せるのです。

 

誰かや何かのせいにして、わざわざ自分の首を絞める必要はない

 

社会的評価を気にして自分の首を絞めている私の妹は、いつも誰かや何かのせいにしています。そんな妹を見ていると、とても生きづらそうに感じるんですよね。

 

「この子は大学を出たのに、なんでアルバイトをしているのか。」

 

そんな風に人から思われるのが嫌で、今日も家に引きこもって死にたいと言っているわけです。

 

ですが、誰がそんなことを気にしますか?

 

キャバクラで働いていたから、なんなんでしょうか?

 

逆に、大学を出たからなんなんですか?

 

好き勝手言ってもらって構いませんが、私はキャバクラ嬢であったことを恥ずかしいとも思わなければ、後悔もしていません。

 

大学を出たから偉いとも思いませんし、バイトだろうが正社員だろうが、好きなことをしたらいいんじゃないでしょうか。

 

むしろ人の過去に指差して笑うその人の方が、人として魅力のない貧しい人間に見えるのです。

 

頭ばかり肥やしても心が肥えてなければ、教え育むはずの「教育」の意味はないと思うんですよね。きっとキャバクラも同じで、財布ばかり肥えても心が肥えなければ、その経験は悲しいですが、無駄になってしまうでしょうね。

 

誇りと責任を持ち、胸を張り、自分として生きること

 

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日本テレビのアナウンサーが、大学時代に銀座でバイトしていたことを理由に、採用が取り消されたことがありましたよね。彼女は異議を申し立て入社したわけですが、自分のしてきたことに誇りがあり、自信があったからこそ意義を申し立てることができたのです。

 

ですが、彼女も、社会的評価を理解していないわけではないと思います。

 

その上で、自分のしてきたことに恥じらう必要を感じなかった。だからこそ結果に納得がいかず、意義を申し立てたのだと思います。

 

私も自分のしてきたこと、キャバクラを含め、誇りと自信があります。人より遠回りしながらでも、お天道様に堂々と顔向けして生きてきたのです。

 

私の妹も、現在キャバクラで働く子も、風俗嬢も、どんな人だって、それでいいんだと思います。

 

人からどう思われるかは分かった上で、自分のしたことにも、これからすることにも胸を張って生きる。

 

これが社会的評価というレッテルを剥がし、私という人間に新しいレッテルを貼ることにつながるのだと思います。