人生の曲がり角

突き詰めるところ、私は変態が好き

こんにちは。

 

久しぶりに外に出ました。週に1回は出るようにしてるんですけど、気付けば引きこもる癖が抜けません。

 

最近、自分の人生の終わりについて考えることがあります。何もかもがどうでもよかった19歳の頃、「メメントモリ」という言葉に出会いました。明日死ぬとしてもそうしたいのか?と問いながら生きてきた26年間、私が人生を通して求めているものは突き詰めたところ「変態」だと分かりました。

 

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やるんじゃなくて、やり過ぎちゃうのが好き

 

口にするだけなら言葉を覚えた年齢から、話せなくなるまで誰にでもできますよね。口にしたことを実際に行動に移すのは数人で、1年続くのは1人か2人。その中でも更に突き詰めちゃうのは数年に1人いるかいないか。

 

そうしたから偉いとか、途中で投げ出すことが悪いとかじゃなくて、私はやるだけじゃくて「やり過ぎちゃう」のが好きなんだと気付きました。

 

「出る杭は打たれる」って言葉があるじゃないですか。私の尊敬する岡本太郎は、この言葉に対して「出過ぎちゃえば打たれない」と言いました。

 

人から見れば泥まみれになってでもしがみ付く私は、引き際も往生際も悪く、ダサくて頭の悪い子に見えているでしょう。でも、それでいいんですよ。

実際に自分から見えている景色と、周りから見てる私は絶対に違う。そんなのは平常時にも変わらないことで、他人を優先した引き際は自分の望む引き際になるはずがない。

 

だからなのか、私の周りには「類は友を呼ぶ」の現象で変わった人が集まってくるわけですが、揃いも揃って変態なんですよね。性的嗜好をいっているのではなく、人としてというか「生き方が変態」なんです。

 

やることやって、満足するまで遊んで、何が悪いのか

 

昔々、私は働いたら負けだと本気で思っていたことがありました。祖母がよく言っていた「やることやって遊びなさい」の「やること」は、当時の私にとって学校へ行くことでしたが、聞く耳も持ちませんでした。

 

その頃でしょうか、年上の経営者の人とお付き合いしてたんですよね。彼は浮気性で、私が電話に出られなかっただけで、寂しかったからとよその女と出かける。プライベートはカオスだったのに、20代前半で年商は数千万円ありました。

 

どうしても浮気されるのが嫌で、遊ぶなと言ったことがあります。

 

そしたら、浮気野郎にごもっともなことを言われてしまいました。

 

「俺は一所懸命働いて、やることやって遊んでる。お前は学校も行かないで、やることやらないで遊んでる。それで遊ぶなって言える?」

 

「ごめんなさい。」ってなりますよね。

 

ここから狂ったように働き始めて、自分は少し無理してるぐらいの方が気持ちよくいられるんだと気付きました。どんなに朝まで遊んでいても、やることはやってる自信がある。そのうち誰もなにも言わなくなり、周りから見る私は「生き急ぐかのように常に120%で生きている」という認識になりました。

 

やることやってればなんでもしていいのかというのは極論になってしまいますが、やることやっている人が遊んでいることを責める理由はないでしょう。それが突き詰めちゃった変態の遊びなら、現実とかけ離れた理解されない趣味も許されたりします。

 

結局「赦されるキャラクターを植え付ける」のが、生きやすくなる知恵なんですよね。

 

実際現実って、バカの方が得だったりするじゃん?変態も同じ

 

変わってるねって初めて言われたのは幼稚園の頃でしたが、そんな自分が嫌で本を読み漁ってきました。みんなの言う「普通」が欲しくてサンタさんにお願いしたこともあります。

 

それでも普通にはなれなくて未だに変わってるねと言われる私ですが、みんなの言う普通や世間に溶け込もうとすること自体をやめました。元から少しだけ出ちゃってる杭が私なだけで、それでも一般社会で暮らしていく上で溶け込めるように努力をしてきました。

 

それで良くないですか?

 

誰にだって得意不得意があって、見ている場所も感じることも兄弟姉妹ですら違う。何十年と連れ添った夫婦にすら価値観の違いは存在するのに、社会や世間なんて大きい枠にハマろうと思う方が狂ってる。

 

普通とは少し違う選択をして生きてきたし、今もこれからもそうして生きていく。何度転んでも笑っているバカだし、突き詰めるだけ突き詰めてヘラヘラしてる変態。それでも周りにはいつも人がいて、「いい加減にしろよ」と言いながら手を差し伸べてくれる人がいる。

 

全員に好かれようなんて無理なんだから、最初から嫌われること前提で付き合えばいい。それで嫌われても前提の範囲内で終わるだけだし、私を好いてくれたらその付き合いだけを大切にしたらいい。

 

幼い頃から「変わってるね」という色眼鏡で見続けられると、いい意味で社会や世間の評価を手放すことができます。それが人生にとって足枷にしかならないと、26年を通して学んできたから。

 

自分の好きなことで、変態になれ

 

誰にでも好きなこと(もの)ってあるじゃないですか。食べ物でも乗り物でも趣味でも仕事でも、異性にも自分の好きなものがある。

 

その「自分が好きだと思うこと」を多くの人に、突き詰めてほしいなって思うんですよ。フリーランスになった多くの社会人が、ネットを通して働き方改革を起こそうとしてるのはそのためなんじゃないでしょうか。

 

みんな、変態の方が生きやすいと知ってる。お金を稼いでマイホームとマイカーを買って、家族とお金のために生きることが、社会や世間では幸せだといわれてるけど、そうじゃない幸せを変態は知ってる。

 

変態の幸せが人生を満たすことも知ってるから、たくさんの変態が声を上げるようになったんじゃないですかね。

 

どんなに好きで愛するものも、突き詰めている途中で「なんで好きなのか分からなくなる」ことが絶対にあります。意味も意義も分からなくなって、明日またそうすることに抵抗を感じるようになる。

 

それでも突き詰めることに意味や意義があって、その先には変態にしか見られない世界がある。

 

突き詰めるところ、世間的に成功者と呼ばれる人は全員変態

 

官僚に医者、弁護士、先生と呼ばれる仕事をしている友人がたくさんいますが、自信を持ってそれらの職業に就いている人は変態だといえます。生き方も性格も性癖も何もかもが、変態すけべ野郎。

 

なので、医者にかかることがあるとニヤニヤしてしまいます。こんなに真面目に診察してるけど、お腹の中はど変態なんだろうなと思ってしまうからです。少し通院して仲良くなると整形外科の先生は「自殺したくて切っちゃうメンヘラは、どうせやるなら最後までやれよと思っちゃうよね」とこぼしていました。

 

Googleで検索すれば一発ヒットするような官僚も、普段は渋谷にいそうなB-BOYみたいな格好をしてる。女には弱くてウブだから騙されまくりで、気付けば53歳。そして病的なドMの性癖を抱えてる。

 

そんなのはザラで、妻と子どもがいるのに乱交がやめられない省庁関係者もいた。

 

ヨーロッパの大学で、知能指数が高い人間ほど薬物などを使用した高度な快楽を求めがちだという論文が発表されていました。残念ながら私は官僚でも医者でもないので知能指数に自信はありませんが、高度な快楽を求めている点には同意できます。

 

今までの人生のほとんどを勉強に捧げてきた彼らにとって、それと同じだけ深い快楽を求めてるのは当然ともいえるかもしれません。社会的に信用があってお金が稼げて、社会や世間のいう「普通の幸せ」も手に入れつつ、自分が満足するまで快楽を求める。

 

変態って、あながち悪くないと思う。

 

世の中、狂った奴が勝ち

 

大きく世界を変える人って、だいたい最初は白い目で見られるじゃないですか。そんなことは気にならない強靭な精神力と、タフな行動力を持ってる。これは変態だからできるんですよ。普通の人はどこかで必ず心が折れるもの。

 

世界を変えたいなんて大きい目標を持つ人はそんなに多くないだろうけど、みんなどこかに「変えたい」と思うものを抱えているじゃないですか。その「変えたい」に対して「どれだけ変態になれるか」が大切なんですよ。

 

恥じもプライドも世間体も投げ捨てて夢中になった先に、変態だけしか味わえない世界がある。そこが好きで、そこにいる人も好きで、自分もそこにいるのが心地いい。

 

だから最近、自分は変態なんだと気付きました。でもまあ、変態にはならないって選択肢もあるから。