人生の曲がり角

大人になった不良少女が、フリースクールをオススメする理由

こんにちは。

 

私の人生経験をお伝えしているこのブログですが、実は今まであまり学生時代について触れていません。母が私の学生時代を「暗黒期」と言うように、人様にお話しできるほど立派な学生ではなかったからです。

 

何かを伝えられるほど立派な学生ではありませんでしたが、ひとつだけお伝えしたいことがあります。

 

私は全日制の普通の高校には通わず、単位制高校フリースクールという学校に通っていました。私の通っていたフリースクールには、引きこもりにギャル、ヤンキーにメンヘラしかいませんでした。言い方は悪いけど、普通の高校に普通に通えない子たちが入学します。

 

公立の小・中学校ですら行きたい学校を選べるようになったこの時代に、全日制の高校にこだわる理由はないのではないでしょうか。異端ともいえるフリースクールは、子どもに「自由には責任が伴うこと」と「自主性や自立心」を教えてくれました。

 

学校に悩む若い子たちに、非行に走る子どもの将来に悩む親御さんへ。

 

大人になった不良少女から、新しい選択肢をお伝えします。

 

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「校則は法律を守ることだけ」この一言でフリースクールへの入学を決めた

 

私は中学2年生からほとんど学校に行っていません。通知表は2年生以降、オール斜線。出席日数が足りない上に先生と喧嘩ばかりしすぎて、1すらも付けてもらえませんでした。

 

それでも毎日塾には通いテストの日は出席して、いつも満点を取ります。不運なことに勉強だけはできてしまうので、先生からすれば可愛くない生徒だったと思います。

 

なので、高校に進学するための学力は問題ありませんでした。

 

それよりも問題なのは、内申点が最悪なこと。担任に「上手いこと書いてよ!」なんて言ってしまい、それが原因でまた大げんか。受験前日まで揉み合いの喧嘩をしていました。

 

とりあえずみんなと同じように受験してみることになり、私立の滑り止めは合格したものの、私の希望する公立高校には落ちてしまったんですね。普通ならそこで私立に進むんでしょうけど、私の場合は思いつきで留学したいと言い出しました。

 

親も友達も、自分自身すらも気に食わなかった学生時代。「居場所は与えられるものじゃなく、自分で作るものなんだよ」と祖母によく言われましたが、それでもあの頃の居場所から離れたくて仕方ありませんでした。

 

ですが、我が家はシングルマザーです。妹も高校受験を控えているのに長女である私が留学してしまうと、次は妹に我慢をさせなければいけなくなります。

 

やはり姉としてそうすることは出来ず、希望する高校へ行けないのなら就職すると宣言しました。中卒の15歳にできることなんて限られているのに、意地とプライドで後に引けなくなっている自分がいました。

 

中学の卒業式が2週間後に迫っていたとき、母が一冊のパンフレットを差し出してきました。「やっぱり高校は出た方がいいと思うよ」という押し付けではないその言葉は、親孝行のために進学することもアリかなと思わせてくれたのです。

 

そのパンフレットには「校則は法律を守ることだけです、それ以外はあなたの好きなように高校生活を送ってください」と書かれていました。

 

入学決定です。自由が保証された学校なんて、私からすれば天国のようなもの。迷わず母に「見学しに行きたい!」と言いました。

 

フリースクールに入学しようと決めた最終的な理由は、親孝行のため

 

フリースクールオフィスビルに入っていて、普通にイメージする学校とは程遠いものでした。黒板はなくホワイトボードが並んでいて、机と椅子は一体になっているアメリカの学校のような感じ。先生と呼ばれる人たちは教員免許を持っておらず、講師のような役割。クラスも担任も、部活も掃除も修学旅行も、ありませんでした。

 

集団行動や協調性を大切にする日本の風習に納得がいかない私は、学校にある煩わしいと感じた全てが排除されたフリースクールに惹かれました。

 

見学した日に簡単な心理テストと面談を受け、翌週には入学が決まりました。

 

学校に行かなくても勉強ができた私にとって、クラスは足手まといになるだけの存在。みんなに合わせると先へ進むのに時間がかかって無駄なので、塾で勉強している方が身になると本気で思っていたんですね。

 

その点フリースクールは大学と同じ単位制だったので、誰かに合わせる必要もなければ例えクリアできなくても責任を取るのは自分です。月給制ではなく完全売り上げ制に取り憑かれた私が、全日制ではない単位制の学校を選んだのは当然とも言えます。

 

ですが、それらの理由は全て後付けで、最終的に入学を決めたのは母と祖母のためでした。

 

あまりいい子どもではなかった中学時代、母や祖母を最も嫌っていましたが、それでもどこかで罪悪感を持っている自分がいました。みんなと同じように高校を卒業することが親孝行や祖母孝行になるのなら、「とりあえず行ってあげてもいいかな」と思ったのが最終的な理由です。

 

入学式で取っ組み合いの喧嘩から始まった、フリースクール生活

 

最初に話した通り、フリースクールに「普通の子」はいません。引きこもりかギャル、ヤンキーかメンヘラのみです。

 

私の地元でそのフリースクールに入学したのは私だけだったので、友達も知り合いもいない状態で入学式を迎えました。

 

当時の私は渋谷にいる汚いギャルそのもので、入学式の前に制服のスカートを15cmも切りました。ローファーはかかとを潰してルーズソックスを履き、カバンもわざと汚して、そんな格好のまま入学式へ行ったのです。

 

あらゆる場所から集まった問題児ばかりの入学式には、私と似たギャルもたくさんいました。制服の着方にメイクの仕方、言葉使いや行動は幼い高校生にはやたらと目に付くものです。

 

そして隣同士になったギャルと些細なことで言い争いになり、これから全員で写真を撮るというときに取っ組み合いの喧嘩をしてしまいました。

 

女同士の喧嘩って男同士より悲惨で、親も先生も必死になって止めてきましたが、お互い流血するまで殴り合いました。

 

親孝行のための進学だったのに、初日から親不幸になることをしてしまった。一進一退とはまさにこのことです。爆

 

私の通っていたフリースクールには、3つのコースがありました。

 

  1. 全日制高校と同じように、平日の5日間通う(但し授業は午前3時間のみ)
  2. 全日制高校と同じように、平日の5日間通う(但し授業は午後3時間のみ)
  3. 毎週土曜日のみ通い、丸一日学校に缶詰になる

 

入学当初は母の希望もあり1番のコースだったのですが、当たり前ですよね、単位を取れば取るほど学校に行く意味が分からなくなりました。2学期には土曜日のみのコースに変更し、学校に行かない間はアルバイトと男の家を渡り歩く生活をしていました。

 

フリースクールには教員免許を持った「先生」と呼ばれる人がいませんでした。全員大学を卒業し、得意科目を持っています。ですが、教員免許を持っていないので「講師」という役割を担っていました。

 

「それで学校として問題ないの?」って思うじゃないですか。

 

私の通っていたフリースクールの講師陣らは、教員免許がない代わりに、心理系の資格を全員が取得していました。社会福祉士に始まり心理カウンセラーもいたのですが、問題のある子しか通わない学校では教員免許よりもよっぽど役に立つのです。

 

勉強するだけなら塾でいい、学校にはそれ以外を求めてる

 

教師という権力を振りかざして、立場が弱い子どもを押さえつけるクソみたいな大人が大嫌いだったのですが、フリースクールの講師も塾の講師もそれをしませんでした。

 

勉強するだけなら講師で十分事足ります。それ以外が学びたくて学校へ行くのに、先生はいつも押さえつけるだけ。大した社会経験もないくせに、教師という狭い世界の「常識」で、子どもを型に嵌めようとする。

 

そんな場所に通う時間も、体力も、お金も、全て無駄です。

 

教員免許を持たない代わりに心理系の資格を持っている講師たちは、先生と呼ばれる人たちが「普通」ではなく、私の思うことが正しいんだと教えてくれました。「人の振り見て我が振り直せ」という講師の言葉は、一生の教訓です。

 

先生が勉強できなきゃ話にならないのは当然ですが、選手とコーチには別の素質が求められるのと同じだと考えています。勉強ができるのと人に教えられるのは違う、それが勉強以外の「心の成長の手助け」ならば、必要なのは教員免許ではないはずです。

 

 あなたや、あなたの子どもに必要なのは、勉強することでしょうか?心の成長の手助けでしょうか?

 

フリースクールは単位さえ取れば通う必要はない

 

無事に1年生から2年生になった私は、夏休みが終わる頃には2年目の単位はほとんど取れていました。

 

そうなると、今度は土曜日すら学校に行く意味が分からなくなったんですよね。

 

家にいると母に「なんで行かないんだ」と責められるので、また中学校の頃のように家に帰らなくなりました。終いには学校を通して親と連絡を取るようになり、17歳のときに同棲という理由で完全に実家を出ました。

 

それでも単位だけは取得し、悩み事があるときだけ講師に相談しに行く。その講師らもほとんど2〜30代なので、親よりも近いお姉さんお兄さんの感覚でした。

 

そんな生活が1年続き、3年生になっても変わることはありませんでした。

 

無事に高校卒業資格に値するだけの単位を取得し、3年生の10月には卒業が決定していました。 

 

フリースクールでは「自由には責任が伴うこと」を学べる

 

最初に言いましたが、フリースクールでは「自由には責任が伴うこと」を学ばせてもらいました。

 

校則は法律を守ることだけで、他にはなにひとつありません。通学スタイルは自分で選択することができるし、単位さえ取っていれば学校へ行かなくても文句は言われません。

 

自由って誰でも憧れるものじゃないですか。規則やルールに縛られた世界でやり抜くのも快感ですけど、好きなように生きていいと言われれば誰だって嬉しいものです。

 

だけど、何をしてもいいわけじゃない。

 

当時の私はそれが分かっていませんでした。未成年なのだから何かあれば親が責任を取るのは当然のことで、自由に生きて何が悪いんだ!と完全に痛い子だったわけです。

 

ですが、フリースクールではそんなこと言っていられません。

 

来ても来なくても好きにしてください、来てくれたら一所懸命に教えます、でも来ないならそれもあなたの自由では?

 

フリースクールはベースがそんな感じなので、押し付けることもなければ行かなくても責められることもない。その代わり、行かなきゃ卒業できないだけ。

 

自分が行かなかった、やらなかったことに対して、理解できない高校生はいません。受け止められないことはあったとしても、高校生にもなればどんなバカでも理解はできるのです。

 

卒業したいなら行けばいい、でも行かないという自由もある。

 

その自由に対して責任を取れないなら、全日制の高校に行って「とりあえず」毎日出席していればいいだけなのです。それが嫌なら、高校に行く以外の選択肢もあるのだから。

 

自分の行動や言動に対しては、自分で責任を持つ。

 

そんなことはもっと早い段階で理解していなければいけないのかもしれませんが、私はフリースクールに入学したことで「自由」の本当の意味を知ることができました。

 

フリースクールで「自主性と自立心」を学ばせてもらった

 

自由には責任が伴うことと同じくらい、自主性と自立心の大切さをフリースクールで学ぶことができました。

 

フリースクールの講師陣は声を掛けてくることはあるものの、あくまでも生徒の自主性を大切にするため、押し付けることも探ることもしてきません。その代わりに「話がある」とか「助けてほしい」と言うと、ほとんどのことを聞いてくれます。

 

その「話がある」とか「助けてほしい」と言える「自主性」を身に付けることができたのです。

 

引きこもりにギャル、ヤンキーにメンヘラ、一見なんの共通点もないように思えますよね。ですが、彼らにはたったひとつだけ共通点があります。

 

それは「助けてほしい」と言える強さを持っていないこと。

 

非行に走る子どもたちの多くは、ヘルプを出すことができません。助けてほしいの一言が言えないために、様々なことをして親の手をこまねき、私に気付いて!とアピールしているわけです。

 

ヤンキーやギャルはそれらの行動を犯罪や夜遊びで表現し、引きこもりは家から出ないことでアピールし、メンヘラも同じように構ってほしいのです。

 

人を頼ったり甘えたりすることは、悪いことではありません。人は誰だってひとりでは生きていけないのだから、助けを求めるのは当然のことなのです。ですが、その「助けて」と言うためには「助けを求められる強さ」が必要です。

 

嫌われるかもしれない、断られるかもしれない、そんな恐怖心を捨てて初めて人に「助けてほしい」と言ったとき、驚くほど簡単に手を差し伸べてもらえました。

 

そしてその強さは、同時に自立心を育んでくれました。

 

やることをやっているから助けてもらえるのであって、頼って甘えてばかりでは手を差し伸べてくれる人もいなくなってしまう。自由と責任と上手に付き合うためには、自立心が何よりも重要なのです。

 

ちょっと道を逸れたぐらいじゃ、人生痛くも痒くもないよ

 

問題があると言われている子どものほとんどは、幼少期の頃に「大人に嫌なことをされた」子が多いのです。その「大人」は親かもしれないし、兄弟かもしれないし、学校の先生かもしれません。

 

他人から見たら些細なことでも当人にとっては、大人全員が信じられなくなるほど深く傷付いているのです。その傷が癒されることなく成長していけば、自我が発達するにつれてどんどん大人を嫌悪していくのは当たり前ではないでしょうか。

 

じゃあ話し合おう!って親御さん、結構いるんですよ。

 

でも親のいう話し合いって、子どもの意見を聞くんじゃなく、親の意見に同意させたいだけなんですよね。押し付けて型に嵌めて、子どもが頷くまで丸め込もうとするだけの時間。

 

親御さんはそう思っていないかもしれませんが、子どもからすればそう感じることの方が多いのです。「俺の、私の、話しをちゃんと聞いてよ!」と言われたことのある親御さんも多いんじゃないでしょうか。

 

そこで、大人になった不良少女から親御さんにお願いがあります。

 

話し合いの場を設けたらひとつだけ質問してください。絶対にひとつだけです。そして答えを出すまで、のんびり構えて待ってあげてください。その間にピーチクパーチク話す必要はありません。ただニッコリ笑ってコーヒーでも飲みながら「あなたが答えを出すまで待ってるからね、その答えを聞けたら私たちの意見も聞いてほしいな」と、あくまでもお願いする姿勢でいてください。

 

 人生なんかクソだ!と思ってる、君たちへ

 

親の言うことも、先生の言うことも、友達の言うことも、どれも全て間違いだよ。

 

正しいのは常に君たちの心で、従う必要があるのも君たちの心だけ。それ以外の声は全てシャットアウトしていい。

 

だけど、右から左でいいから、人の話は耳と頭を通して聞こう。聞くだけでいい。他人の意見を取り入れたり参考にするかは君たち次第だけど、人の話はとりあえず聞いてみよう。

 

だからって何にもならないこともあるし、その意見を耳に通しただけでも、いつかその意見が役に立つこともある。

 

先人たちの意見は、古臭くて時代遅れでダサいことの方が多い。親も先生も歳を取ってるから、カチカチになった頭でしか世界を見れないんだよ。だけど、先人の意見はふとしたときに君たちを助けてくれることがあるんだ。

 

頭ごなしに怒鳴りつける親もいるだろうし、教育者のくせに教え育むことを投げ出す教師もいる。親友だよと言って簡単に裏切る友達もいるかもしれないし、変わりたいと思うのに変わらない自分に腹が立つこともあるかもしれない。

 

だけど、そのままでいい。君たちは君たちのままでいたらいい。

 

世の中、悪い人たちばかりじゃないから。君たちのために生きて死んでいく、そんな情に溢れたバカな人間もたくさんいるんだ。

 

ムカつくなら、気に食わないなら、同じ土俵に立つな。逃げろ、自分が心地いいと思える場所に出会えるまで、ずっと逃げ続けたらいい。

 

でも、逃げ出したことから逃げ出すのだけは許されないから。逃げるなら、絶対に逃げ続けろ。

 

決めたことをやり抜くために、泥だけらけになったり他人に指さされることには誇りを持つんだよ。決めたことをやり抜かずに投げ出すのが、一番ダサくてかっこ悪いから。

 

その子だけの「心地いい場所」はこの世界のどこかに必ずある

 

日本人ってみんなと同じことが大好きで、正しくて間違いないと信じてる。

 

くだらねえんだよ!!クソ食らえ!!

 

普通じゃなくていい、おかしくていい。人と違うことは誇りで、その子にしかない最大で最高の個性。

 

最後にひとつだけ、経験者から真理を教えます。

 

子どもを信じられない親は、親である自分を信用できてない。親を信じられない子どもは、子どもである自分を信用できていない。親子でも他人同士、人間同士なのだから、人に求める前に、まずは自分を愛してあげて。