人生の曲がり角

これぞ人生の曲がり角、という平成の終わり

こんばんは。

 

人生の曲がり角とはこのこと!という毎日を送っています。ブログを更新するのも随分と久しぶりになってしまいましたが、気付けば12月になりましたね。

 

去年の今は沖縄県民だったんですよね。時間の感覚が年々早くなっていくことに恐怖を感じています。

 

さて、謎のバズりにより現在もキャバクラ関連の記事がトップヒットを占めていて、なぜかSEOも強化されている珍事件が起きていますが、そんなことは御構い無しに書きたいことを書かせていただこうかと思います。

 

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昔から、’’とりあえず’’が許せない子どもだった

 

’’妥協’’ってあるじゃないですか。人生において、割と早い段階で人は妥協することを覚えますよね。

 

とりあえず

 

とか

 

それでいいや

 

とか

 

本来思っていたものとは違うけど、この辺で妥協しとくか。

 

という選択をしたことが、一度はある人がほとんどではないでしょうか。

 

私、これができないんです。

 

「なにかひとつ買っていいよ」と母に言われて、お菓子や洋服を選ぶことが小さい頃から多々あったのですが、私の妹は買っていいと言われると意地でも何か買ってもらいたい人なんですね。

 

ところが私はじっくり考えた挙句、欲しいものがないときは’’とりあえず’’でお菓子を選ぶこともしませんでした。本当に心の底から欲しいと思えないと、今も昔も’’だったら要らない’’を選んできたのです。

 

妥協できない性格と聞くと、なんだかかっこよく聞こえるじゃないですか。徹底してるとか、自分を持ってるとか、そんなお返事をいただくことが多いんですよね。

 

でも…我ながら面倒です。

 

食べたいものがなければどんなにお腹が空いていても食べずに寝てしまうし、気に入ったアウターが見つからないときは真冬でもアウターなしで過ごしてしまいます。カーテンも本当に欲しいものが見つかるまでは、無しで過ごすのが私の新居生活の定番です。

 

年齢と共に諦めを覚えると誰かに言われましたが、こんな私も今月27歳になります。

 

そろそろ数えるのをやめようかと考えていますが、丸くなるどころかこだわりは日々強くなるばかりです。

 

絶対に譲れないものはなにか、を考えてみた

 

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妥協することを妥協できないのであれば、徹底して譲れないことはなにかをはっきりさせようと思いました。

 

で、考えてみたんです。私の人生で、絶対に譲れないものがなんなのか。

 

直感で決めた、決断

 

私が絶対に譲れないものは、これだけです。

 

昔から食べ物も洋服も、習い事もやりたいことも全てを直感で決めてきました。お付き合いする相手も必ず一目惚れから始まり、突拍子も無いと人から言われるのはそのためだと思っています。

 

でも、これが絶対に譲れないものなんですよね。

 

’’私がどう感じたか’’が、私の全てであって、私なんです。

 

誰かや何かの意見やアドバイスは、きっといつだって必要としていません。いつも心の中ではどうするかを決めていて、そこへ向かっている途中に弱音を吐きたくなるだけなのです。

 

相談しない、話さない、突拍子もなく動き出す。

 

よく言われるのですが、私の中では’’あらかじめ決まっていたこと’’なんですよ。そう感じたその瞬間に、私がどう動くかはもう決めているんです。

 

どんなにその気持ちがグラついても、最後に信じるのは’’最初の直感’’だけで、区切りをつけるときも直感で決めます。

 

それがりなだからしょうがないんですけど、気付いたことがありました。

 

きっと’’みんなの言う幸せ’’は、妥協の上で成り立ってる

 

一度だけ、結婚したことがあるんですよ。あれ?今は?って人もいると思うんですけど、今はまだ諸事情により婚約者という立場になっています。

 

それはさておき、人生で二度も結婚の話が出たわけですが、そのどちらも「みんなの言う幸せ」とは少し違うものでした。

 

それはなぜでしょうか?

 

見る目がないから

 

変わり者が好きだから

 

そもそも自分がだめ女だから

 

と、まあ色々思い浮かんだのですが、結果、みんなの言う幸せは妥協の上で成り立ってるんだと気付きました。

 

妥協することが悪いことではないのです。それも選択のひとつだと知っていますし、私も一度も妥協したことがないわけではありません。仕方のないことは、生きていれば山ほどありますからね。

 

「他人と共同生活を送って、子どもを産み育てる」のが、世間一般のみんなが言う幸せだとしたら、必ず「他人と共同生活を送る」上で妥協が必要になります。

 

思いやり、相手を尊重する、折り合いを付ける、言い方は様々だと思いますが、自分とは違うやり方や生き方を認め受け入れる必要が出てきますよね。そこで必ずしも自分を押し通せるわけもなく、みんなどこかで妥協します。

 

その妥協の許容範囲が同じ価値観の人とであれば、それは妥協以外の言葉がしっくりくるようになるんだと思うんですよ。思いやりとか、相手を尊重するとか、そんな風にすてきな言葉が当てはまる夫婦になれるんじゃないかな。

 

でも、これが私にはできない。

 

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私のわがままを全部聞いてくれないと嫌だ!というのではなく、相手という人間に対して直感でしか判断することができないんですよね。

 

優しくしてくれる人はたくさんいました。お金をたくさん持っている人もいたし、経歴や肩書きが社会的に評価されるであろう人もいました。

 

多くの人は顔や体のタイプに多少妥協してでも、相手を現実的にそう判断するんだと思います。それは至極当然のことであって、自分の将来を考えたときに不安を感じる相手と一緒に暮らす選択をする人は少ないですよね。

 

そもそも、私は相手に対して「幸せにしてもらいたい」と期待していません。そのとき幸せかどうかを決めるのはあくまで私であって、相手ではないのです。自分が幸せでいたいのなら、幸せでいるためにできることがあるのは自分自身だけだとおもっています。

 

そのために彼の笑顔が必要なら、彼を大事に過ごせばいい。私にとっては将来の不安も今後のこともその程度でしかなく、お金で解決できることは問題ですらないのです。

 

それなのにこんなにこだわる理由は、自分の直感と気持ちを大切にしたいからなんだと思います。

 

人生は自分が主役の舞台だから、運命よ、そこをどけ

 

すてきなセリフを織り交ぜてみましたが、最近とてもそう思うのです。

 

私の人生は人に誇れるほど立派なものではないし、社会に貢献するよりご迷惑をおかけすることの方が多いものでした。好き勝手、やりたいことだけやって、確かに生きてきました。でも、その分、やりたいことのために人よりやりたくないことをやってきた自負もあります。

 

誰もが形にハマりたがるじゃないですか。それもいいと思います。間違いではないし、多くの人が幸せだというのだから、多くの人の意見を信じるのは不思議でもなんでもないのです。

 

でもそれじゃ、嫌なんですよね。

 

違和感があって、嫌悪感があって、虚無感に変わって、耐えられなくなる。

 

だからきっと、フリーランスという働き方はなるべくしてなったといえます。

 

妥協するって、一番楽になれる方法だと思います。でも、楽になることと幸せになることは違うんですよね。私は楽よりも苦を取ってでも、幸せになる(満たされる)ことを選ぶ性分なのだと思います。

 

人生26年目は、365日が嵐だった

 

26年目は人生の中でもトップ〇〇に入るくらい、毎日が激動でした。

 

疲れたという言葉を忘れて、無我夢中で日々を過ごしていました。あっという間、まさにそんな感じです。

 

27年目がどうなるかは神のみぞ知るですが、私の場合は「私のみぞ知る」でしょうか。

 

ということで、26年目の本格的な〆は次のブログでお話しします。