人生の曲がり角

どこまでも保身を捨てられる人間が、一番強いという事実

こんばんは。

 

さて、今晩も年末に向けて追い込んでいきましょう。

 

最近、自分のことをアメリカ人だと思うようにしています。

 

というのも私の独断と偏見でしかないのですが、「相手を思って言わない」というのは思いやりではないと思うんですよ。でも私の中にはこの感覚が割とあって、だから言えない(言わない)という選択をすることが、多々ありました。

 

ただ、そんな自分が好きではなかったんですよね。

 

どことなく違和感があって、言うことが思いやりになることも知っていました。

 

それでも口に出せなかった理由と、なんで言うことにしたかの話です。

 

f:id:Stella-Lee:20181208214354j:plain

 

誰だって嫌われたくないし、好かれて悪い気がする人はいない

 

これが今日のブログの答えです。

 

人に何かを伝えるって、良いことばかりではないじゃないですか。時には酷なことを伝えなくてはならないこともあるし、情が移ってこちらまで落ち込んでしまうこともあります。

 

それでもそれが現実で、その現実を変えられるのは自分じゃなくて相手です。そのためにハッキリと言うことも、時には優しさではないかと思いました。

 

でも、みんな自分が一番可愛いものです。傷付きたくないし、嫌われたくないし、好いてくれる人は多い方がいいに決まっています。

 

保身に走るのはみんな同じで、その人だけが悪いわけではないのです。

 

ただそれは自分の身を守るためのエゴでしかなく、相手への思いやりがあってのことではないんですよね。

 

そこを履き違えている人、多いんじゃないかと思います。見て見ぬ振りして愛想笑いしているのは、優しさと言えますか?

 

 そもそも優しさを持っているからこそ、言えない

 

f:id:Stella-Lee:20181208214429j:plain

 

これすごく大切です。

 

どうして言わない(言えない)のかを考えたとき、エゴであることはすぐに分かったのですが、その上で、優しさを持っているからこそ言えない部分も、少なからずあることに気付きました。

 

優しさや思いやりのない人は、悪い意味で言いたいことを言います。それは相手を思った言いたいことではなく、空気の読めない、相手の気持ちを考えることができない人のやることです。

 

でもそうするわけでもなく、気付いていないわけでもない。ただ口に出せないだけで、言わなかった(言えなかった)だけなんですよね。

 

ということは、優しさや思いやりを持っていないわけじゃない。あとはその優しさを、どうやって相手へ伝えるかだけなのです。

 

嫌われたって死ぬわけじゃない

 

私はアホみたいにポジティブなくせに、極度にナイーブなところもある面倒な人間なんですが、基本的に死ぬ以外の問題はほとんど気に留めていません。

 

じゃなきゃこんな人生を歩んでいられないと思うんですけど、その理論に沿っていくと、なぜ今まで言えなかったのか自分でも不思議でしょうがないんですよね。ビビるところおかしくない?と、自分に聞きたいです。

 

なので、そういうことにしました。

 

死ぬわけじゃないから、とりあえず言う。反応なんて言わなきゃ分からないし、プラスになるかマイナスになるかすら、言わなきゃ分からない。

 

死ぬような問題でもなく、且つ、言わなきゃ分からないことを妄想して悩む。

 

バカなんでしょうか。

 

さっさと言え、回りくどいことしてる暇があるなら、さっさと言いやがれ。

 

ってことで、最近は自分をアメリカ人だと思って、相手に伝えることを大切にして生きています。愛してる人に愛してると言うことを恥ずかしがる人がいるけど、明日死んだら言えなくなるんですよ。

 

そう思ったら相手への優しさや思いやりが、見て見ぬ振りじゃないことは分かりますよね。

 

結果、言うようになって離れた人はいなかった

 

f:id:Stella-Lee:20181208214522j:plain

 

好かれる努力をしている人は嫌われるし、嫌われる努力をしている人は好かれるものです。「裏腹に」というのは何にでも当てはまるもので、それに気付けるとあっという間に道が拓く気がします。

 

よーし!言うぞ!と決めた日から、人が変わったように言うようにしました。感じたことや思ったこと、聞いた話のアドバイスや意見も、遠慮せずに伝える。ただ、あくまでも相手のためになることだけで、優しさの上で成り立っていることは忘れずに。

 

で、結果、だから離れた人はひとりもいませんでした。

 

むしろ「お前は素直な方が可愛らしくていいよ」と言われ、確かにそんなキャラでいられたらものすごく生きやすいだろうなと感じました。

 

私がまだまだ荒れていた頃、祖母に「居場所は自分で作るんだよ」と言われたことがあります。当時は常に人のせい、何かのせいだったので、納得いかなかったのですが、今はその言葉通りだと言えます。

 

誰かの居場所にハマろうとするから、我慢をしなくてはいけなくなる。誰かや何かのために耐えることと、我慢することは違うと思うんですよ。それはエゴなのか、保身ではないのか、思いやりの上で成り立っているのか、そう考えたら自ずと答えは出ますよね。

 

それぞれにキャラクターがあって、らしい自分や生きやすい自分がいます。その人がその人らしくいられる居場所は、誰かや何かが作ってくれるものではなく、自分で作るしかないと気付きました。

 

なんでも、やらない後悔よりやる後悔を取って損はない

 

今年は自分に選択を迫ることがたくさんあったのですが、やらずに後悔する気持ち悪さよりも、やって後悔する気持ちよさを取ってきました。ある意味で、私を強くしてくれた年でした。

 

自己満足かと言えば、そうなのかもしれません。優しさや思いやりはただの言い訳で、自分がスッキリしたいだけかもしれません。

 

でも相手に言うことで自分が後悔することなく、且つ、それが相手への優しさだと断言できるのであれば、それは絶対に言うべきことだと思います。

 

口は災いの元ですが、幸せの元でもあると思うのです。何にでも「裏腹に」があてはまるのであれば、物は使いようではないでしょうか。言葉を扱う仕事をしていると、尚更そう感じます。

 

やらずに後悔したことは、恐らく死ぬその瞬間まで忘れることはないでしょう。ただ、やって後悔したことは良い意味で、忘れられるものだと私は思います。

 

生き返ることは現実的に絶対不可能なのだから、何かを悔やんで死ぬよりも笑って死にたいじゃないですか。それは自分のためかもしれないけど、残された人たちへ残せる幸せだったりするんですよ。

 

遠慮はいらないから、心の底から笑い合える人が欲しい

 

f:id:Stella-Lee:20181208214604j:plain

 

私は人と話すのが大好きです。知らない人を知るのが好きで、興味のある相手を知るためなら、何年でも時間をかけて相手を知ろうとします。

 

そこに遠慮も気遣いも必要なくて、欲しいのは心の底から笑い合える人だけなのです。

 

そんな人を失うのなら、エゴも保身も捨てて相手に伝えることが大事だと分かりました。

 

自分がどんな人間でいたいか、どんな風に接してもらえたら嬉しいと感じて、これから先も自分にとって欠かせないものがなんなのか。

 

何事も、変えられるのは自分しかいないってことですね。