人生の曲がり角

人生26年目は、人生で最も壮絶な歳だった

こんにちは。

 

最近マクドナルドにハマっているのですが、いい感じに太ってきています。女の子は絶対にむちむちの方がいいと思うんですよね。適度な肉付きと健康的な体はエロスです。

 

さて、あと数日で私の26年目が終わろうとしています。

 

色々あり過ぎてかなり長文になってしまうのですが、お付き合い頂けると幸いです。

 

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人のために生きて、人のために笑って、とにかく泣いた

 

人生26年目の時系列は、以下の通りです。

 

  1. 祖母が亡くなる
  2. 婚約者に出会う
  3. 沖縄移住から帰京
  4. 仕事のジャンルを大幅に変更
  5. 再婚するかしないか揉める
  6. 妹が結婚
  7. 福生にお引越し

 

細かく振り返ってみることにしましょう。

 

人生26年目で、ついに祖母が亡くなった

 

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私は異常なほどのおばあちゃん子なのですが、小学生になるまで祖母と二人暮らしだったことが大きく影響しています。祖母は私にとって母であり、親友であり、掛け替えのない存在です。

 

そんな祖母も歳を取っていることは分かっていましたし、人はいつか亡くなるということも理解はしていました。それでも私の祖母が亡くなることは考えられず、亡くなるその日までビクビクしながら過ごしていた記憶があります。

 

26歳になってすぐに祖母が緩和ケアへ入院したと連絡があり、年明けと共に東京へ帰りました。モルヒネを打ち始めてすぐの頃はまだまだ元気で、死ぬなんて考えられないほど生き生きとしていました。

 

「もう一度歩きたい」という祖母の腕を抱え、今になれば最後になってしまいましたが、病院内を二人でお散歩したのです。

 

その10日後に、祖母は亡くなりました。

 

「誰にも言えないけど、自分の子どもよりもりなちゃんが好きなのよ。おかしいわよね、でも本当にあなたに出会えてよかった。」

 

それが、祖母との最後の会話でした。

 

ほぼ毎日病院に泊まり、仕事も病室でやらせてもらっていました。祖母のそばにいながら仕事ができたことは、本当に感謝しています。

 

祖母が亡くなったのは真冬だったのですが、春になるまで誰にも会わず、外にも出ずに過ごしていました。仕事はしていましたが、なにも手に付かなかったのです。

 

気付けば泣いていて、理由も分かりませんでした。ただ心に大きな穴が空いて、祖母のいない世界で生きていくことに大きな不安がありました。

 

幼い頃「おばあちゃんが死んだらりなも死ぬから!」と口癖のように言っていたのですが、人生26年目の最初の出来事は、生きている中で一番辛かったです。

 

そして春が来て、今までなんともなかった花粉症に初めてなりました。祖母は重度の花粉症だったので、要らぬ置き土産をもらったなと思いながらも、祖母を感じられるのが嬉しかったです。

 

婚約者に出会い、毎日に色をもらえた

 

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祖母が亡くなった後、タバコとレモンティーを箱で買い込み、とにかく家に引きこもりました。沖縄に戻らなければいけないのも分かってはいましたが、沖縄にいる友人に優しくされることを考えると、それもまた辛かったのです。

 

母や親戚にいつ帰るんだと催促されている最中、婚約者に出会いました。

 

私は今までお付き合いした方とほとんど喧嘩をしたことがなく、割と穏やかで安定した付き合いをしてきました。ところが、婚約者の彼とは会ったその日に大げんかをし、デートも早々に別々に帰るという展開を迎えました。

 

冷静に考えると、意味が分からないですよね。いい歳した大人が二人、知り合ったその日に新宿駅で大げんかをして「帰るわ、二度と連絡しないで」とキレてたんですよ。

 

その後もほぼ毎日のように喧嘩をし、私は人生で初めて人に向かって怒鳴るということをしました。母には「なんで付き合ってるのか理解できない」と言われましたが、当時の私も、なぜそこまで執着するのか分かっていませんでした。

 

 でも似た者同士で、求めているものが同じなのです。だから喧嘩をして仲直りをして、また喧嘩をする。その繰り返しで本質が見えるようになってからは、喧嘩の回数も減っていきました。

 

彼は祖母がいなくなった世界に色と、歩き始めるきっかけをくれました。

 

この人のためなら、もう少し頑張れるんじゃないか。

 

それが再婚に踏み切った理由です。

 

沖縄から東京に戻ることを決めた

 

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一生沖縄にいるつもりはなかったので、いずれ沖縄から出ることはあらかじめ決まっていました。沖縄移住からの帰京という決断に大きく関わったのが、「ライターとしてのあり方」だったのです。

 

当時の私は沖縄に関する記事をメインに執筆しており、それ以外の仕事はペットジャンルでの仕事がほとんどでした。沖縄在住という肩書きは強みだったのですが、本来私がやりたいと思っている仕事ではなかったのです。

 

ですが、その頃はまだライター1年目で、仕事を選んでいる余裕はありません。

 

日々与えられた仕事を有難くこなしていたのですが、祖母が亡くなってから自分の人生をよく考えるようになったのです。

 

このままでいいのか?

 

せっかくフリーライターになったのに、これがやりたいことなのか?

 

この先の景色が見たくて、頑張っているのか?

 

それなら、本当にこの先の景色を欲していると言えるのか?

 

そう考えたら私にとって沖縄は求めているものではなく、ペットジャンルでの執筆も望んでいないとはっきり分かりました。

 

思い立ったが吉日、晴れて都民に舞い戻ったのです。

 

「書いたことはないけど、書かせてほしい」と、頭を下げ続けた

 

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帰京と同時に、今までのクライアントにさようならを告げました。沖縄に関する記事はもちろん、保護犬ボランティアに関する記事も全て切ったのです。

 

誰にも言っていませんが、この頃少しだけアルバイトをしていました。全ての仕事を切ったので、無収入になってしまったんですよね。そうしてでも、自分のやりたいことを押し通しました。

 

そして、とある新聞社に拾ってもらったのです。

 

私はどちらかというと理論的な文章が好きで、柔らかく親しみやすい記事よりもお堅い記事を好む傾向があります。更に物理学というマニアなジャンルが大好きなので、新聞社に拾ってもらえたことはとても大きく影響しました。

 

未経験で新たなジャンルに飛び込むことは容易ではなく、何百というクライアントに断られました。それでも心が折れなかったのは、私らしく生きることを優先していたからです。

 

私は望んで、ライターという仕事に就きました。組織に属するという選択をせずにフリーランスになった以上、自分のやりたいことをやるのが当然だと思っています。そのために苦労するのもまた当然であり、アルバイトをしていることも楽しかったのです。

 

勇気のいる決断ではありましたが、祖母が亡くなってようやく、人生の指針をはっきりさせることができました。

 

一緒にいたいだけなのに、お互いに上手くいかないことがあり過ぎた

 

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再婚を決めてから実際に婚姻届を提出するまでの間、本当に色々なことがありました。

とにかく目まぐるしいほどに問題が起こったのです。

 

元々喧嘩ばかりしていた二人です。

 

「もうどうでもいい!」とどちらかがキレてしまえば、それで終わってしまいます。なんとか落ち着かせようと努力していた私も、仕事の路線変更で上手くいかないこともあり、ついに匙を投げてしまったんですよね。

 

クライアントにも親戚にも再婚すると話した後だったので、誰にも言うことなく婚約は破棄になりました。

 

それでもなんだかんだと付き合い続け、また結婚の話が出ていますが、実際に籍を入れ終わるまでは母にも話さないと決めています。

 

知り合ったその日に喧嘩をし、私はすぐに沖縄に帰ってしまい、東京に戻ったと思ったら彼はお母さんの面倒を見なければならず、ほとんど会えない日が続いていました。そんな中で結婚することは不可能に近かったので、今では、もう少し落ち着いてからでもよかったねと笑い話になっています。

 

ずっと赤ちゃんだと思ってた妹が、まさか結婚すると言い始めた

 

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私の妹は昔からTHE末っ子のタイプで、気に入らないことは泣いて騒いで解決しようとする子どもでした。得意技は「刺すよ」と言いながらフォークを向けることで、女王様のような妹です。

 

でもそんな妹が可愛くて、小さい頃からずっと一緒にいました。

 

そんな妹も今年で24歳になるのですが、前々からお付き合いしていた方と結婚すると言い出したのです。お相手の方はとてもいい人で、女王様にお似合いの優しい男性です。

  

どんなに大きくなっても私にとって妹は、永遠に赤ちゃんのままです。手取り足取り面倒を見たくなるのは今も変わらず、母よりも妹に構っています。そんな妹も嫁いでいき、残す不安は独り身の母だけになりました。

 

新しい引越し先は、横田基地の目の前

 

沖縄在住時は普天間基地の目の前に住んでいたのですが、次の引越し先は横田基地の目の前にしました。

 

理由はいくつかあるのですが、ここで少し米軍基地について話したいと思います。

 

米軍基地が必要な意味を理解出来ない奴は、脳みそが終わってる

 

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先に言いますが、右にも左にも肩入れするつもりはありません。あくまでも、個人的な意見です。

 

そもそも普天間という土地には何もなく、沖縄本島で一番の高台だったことから米軍基地の建設が始まりました。空軍は戦闘機や輸送機をメインにしているので、広い土地と余裕が必要です。そこで選ばれた普天間には、そもそも「何もなかった」のです。

 

後から民家や学校を建設したのですが、後から入ってきた人間が「お前らがいると私たちの身が危ないから出て行け」というのは、頭に虫でも沸いているんでしょうか。

 

危険を回避するための辺野古移設であり、それに伴う代償は「あって当然」なのです。この世界で何も失わずに何かを手に入れることは不可能であり、それは誰の人生にも該当することです。普天間だの辺野古だの、沖縄だけが悲劇のヒロインではないのです。

 

お台場に米軍基地を建設することは可能ですし、東京の海を潰すことはいくらでもできます。ですが、沖縄は毎年何億という税金をもらっていますよね。お台場のある東京都港区は日本で一番世帯収入が高いのですが、その土地の分だけ、沖縄県民は稼ぐ意思があるのでしょうか?

 

ないですよね、無理ですよ。寝言は寝て言えと言われるのは、何もしたくないけど何も奪われたくないと、アホなことを叫んでいるからです。

 

辺野古の海を守りたいのなら、やんばるを切り開いて街を作ればいいのではないでしょうか?普天間の人たちがやんばるに移り住めば、危険なのはハブくらいで、米軍基地に怯えずに済みます。

 

ではなぜ、そうしないのか。

 

それはやんばるの自然を破壊したくないからではなく、単純に普天間という場所が便利だからです。それを察して米軍側が、「だったら俺たちが田舎へ行くから、お前らに便利な方を譲るよ」と言ってくれているのに、何が不満なのか理解できません。

 

自然破壊をしたくないのであれば、まず車社会であることを考え直してください。歩くのは嫌い、自転車も嫌い、ゆいレールは意味もなければバスは時間も守りません。

 

異様にポイ捨てが多いことも考えるべきです。観光業に力を入れるのはいいと思いますが、ホテル建設のためにどのくらい自然を破壊したのでしょうか?そうして壊した自然から、いくら収入を得てどのくらい潤ったんですかね?

 

自分のことを棚に上げて相手を叩いてばかりいるから、まともに相手にされないんですよ。どうしてそれが分からないのか、不思議でなりません。

 

働かず借りたものも返さず、身内びいきの結果が、模合で裁判を起こすような土地柄であることを、彼らは理解していません。沖縄は好きでも沖縄県民を毛嫌いする理由は、そこにあります。

 

沖縄に米軍基地という脅威があるからこそ、中国とズブズブの関係を続けられているんですよ。彼らがいなければ、あっという間に中国に利用されて、沖縄は沖縄ではなくなります。その意味を理解出来ないのであれば、歴史と世界情勢を一から勉強しましょうね。

 

あー、ずっと言いたかった!

 

私は米軍基地周辺のアメリカンカルチャーに惚れている

 

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で、です。

 

なぜ私が米軍基地周辺を好むかというと、昔からアメリカンカルチャーが好きなことが関係しています。一時アメリカに移住する話が出ていましたが、行けない状況になり、しばらくは日本にいなければなりません。

 

それでもありきたりな場所で普通のマンションを借りることは許せず、横須賀か横田かの二択しかありませんでした。

 

横須賀が第一候補だったのですが、何しろ遠いんですよね。

 

クライアントとの打ち合わせは基本的に山手線沿線ですし、実家は埼玉県です。友達に会うことも考えると、横須賀は少し遠すぎました。

 

そうして横田基地に決めたのですが、普天間同様、横田基地福生市という場所にあることすら知らなかったのです。必死になって「東京都横田市」と検索したのですが、出てくるはずがありません。そこで初めて、福生という地名を知りました。

 

中央線で一本、新宿までは一時間以内です。住む以外の選択肢はありませんでした。

 

私は家を選ぶとき、歩いている人や街の雰囲気、聞こえる音を重要視します。たくさんのアメリカ人が行き交い、アメリカンカルチャーを感じることができ、大好きな輸送機の騒音を聞くことができるのです。(実は飛行機マニアです。)

 

天国かと思うほどピッタリの条件だったので、迷う理由はありませんでした。

 

人生26年目は激動だったけど、たくさんのものが得られた年

 

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とにかく色々なことがありました。もういいよと言いたくなるほど、目まぐるしい毎日を過ごしてきました。

 

嫌でも対応しなければならないことに溢れ、嫌でも成長しなければいけない状況が続きました。いつ終わるか分からない苦しみの中でもがいていたことは、今になれば有難いと思うのです。

 

これだけの状況に対応できてしまう自分を誇らしく思いますし、まだまだ可能性を感じることができました。限界はないんだと、そう実感したのです。

 

27年目がどうなるかは分かりませんが、きっと毎日笑ってへらへらと過ごしています。

 

でもひとつだけ…すてきなおばさんにはなりたいかな。