人生の曲がり角

平成最後に言いたいことをぶちまけてみる

こんにちは。

 

今年も多くの人に出会いお世話になりました。

 

本当に有難う御座いました。

 

しみじみ感謝の気持ちを述べて終わるのはらしくないので、平成最後に言いたいことをぶちまけてやろうと思います。

 

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インターネットは世界の本質を教えてくれる

 

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インターネットの登場は確実に世界を変えました。これまで知ることができなかったことも、容易に知れるようになったのです。

 

SNSの登場により、政治家や芸能人といった遠い存在を近くに感じられるようになりました。それにより彼らの人間性を垣間見ることもでき、いい意味でも悪い意味でも、人前に立つ仕事である以上、人間的な素質も求められるようになったのです。

 

ですが、それは以前から同じだったかもしれません。多くの人は勉強のできる人より、人として尊敬できる人に政治家になってほしいと思っていました。

 

新聞、ラジオ、テレビ、これらのメディアは一方的に出来事を伝えるものであって、民意と政治家の意見交換をすることはできません。国民は知らされたことを受け取り、噛み砕き、結末を見守る以外にありませんでした。

 

でもインターネットは、一方的でないのです。

 

世界中の人と瞬時に、意見を交換することができます。匿名である分、良くも悪くも本質が見えます。それは時に凶器にもなり得ますが、物は使いようなのです。

 

SNSはある意味で、嘘発見器の役割も担っていますよね。

 

それによって「それ相応ではない」人間は、排除されるようになりました。これは昔の政治とは大きく違う点で、どんなに立派な公約を掲げても、人としてオツムが弱い人は政治家にはなれないのです。

 

それでも利権があり、派閥があり、名前が勝ちます。なので私は、選挙を信用していません。

 

だから誰が当選したって、そこに興味はないです。

 

ただ相応しくない人間は、いずれ必ず淘汰されます。この時代にSNSを利用しないパフォーマンス好きはいないでしょうし、ボロが出るような人間こそ、目立つのが好きなのです。

 

政治に勉強ができるかどうかは、全く関係ないと思いますよ。学歴も肩書きも親父の偉大さも、そんなものはクソ食らえです。

 

私は本気で、松岡修造さんのような人に政治家になってほしいです。鬱陶しいくらい情熱的で、嫌々言いながらも一緒にやりたくなってしまうような、熱いパワーに溢れた人に惹かれます。

 

一回しかないんですよ、今日も明日も。

 

生まれ変わることはできないし、生き返ることもできないし、振り返れても戻ることはできません。

 

どうせ一回しかないなら、人間の作った勉強という物差しより、情熱という動物的な感情に賭けてみたいです。

 

自分の住んでいる場所の運命を決める人間が、政治家です。

 

私はバカでいいから、ワクワクするような人に、自分が見てる景色を預けたいですね。

 

悪いけど、戦わずして勝てるなら姑息でもいいからそうする

 

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右翼と左翼は本来、どちらも愛国心から来るものです。

 

日本をより良くしたいという答えは同じですが、そこへ至るまでの式が異なります。

 

本来は、右翼も左翼もそういった存在でした。

 

ですが、日本の今の右翼と左翼は違います。特に左は、愛するはずの国が日本ではないように感じることも多いのです。

 

そしてなぜか、そういった人たちは戦うことを望みます。多くの人は銃すら持ったことがないであろうに、一丁前に戦いたがります。

 

申し訳ないですが、多くの人は戦わずして勝てるなら、戦いたくなどありません。怖い思いなんてしたくもないし、誰かを傷付けるなんて望んですることではないのです。

 

穏便に平和的に解決できるのであれば、姑息だろうとずる賢いと言われようと、勝ちは勝ちじゃないですか。

 

日本は戦争を経験して、戦う強さを身に付けることをやめました。身体的な強さではなく、精神的な強さを手に入れることを学んできたのです。軍を持たずに外交に力を入れているのは、そのためではないでしょうか。

 

私はそれがいいと思いますし、賢い選択だと感じています。

 

話し合いより先に爆弾を落とし合う国より、腰低くヘコヘコと、争わずに生き抜く方が平和じゃないですか。腹の中でどう思うかは自由なんですよ。

 

毎日雲のない真っ青な空が見れたら、私は幸せです。

 

季節に合わせて違った星が見られて、

 

キョロキョロしても転ぶことのない安全な道路があって、

 

家のベッドで、ゆっくり眠ることができる。

 

それでいいと思うんですよね。そのために戦いは必要ないし、話し合いで解決できないことはないんですよ。カッとなってやったってよく聞きますけど、それが許されるなら近い将来、人間は絶滅するでしょうね。その結果が戦争だってことは、多くの人がわかってると思います。

 

そろそろ学歴も肩書きもあてにならないって気付きなよ

 

高学歴ほど、突拍子もない罪を犯すと思っています。勉強ができる人ほど配慮に欠け、自己中心的であると感じています。ですが、全員ではありません。もちろん一部の人間の話しです。

 

学歴はある意味、若い頃にどれだけ努力したかの証明ともいえます。

 

ですが、勉強をしなかったことが、イコール努力しなかったことになるのでしょうか?

 

私の友人は中卒で、15歳で塗装工になりました。現在27歳ですが、今も同じ会社で働いています。

 

未だに漢字もまともに書けませんし、ただのバカです。でも、根性と熱意だけはあります。その根性と熱意だけで12年同じ会社に勤め、27歳で年収800万稼いでいるのです。

 

でも彼は世間から見れば、努力していないと見なされます。履歴書に書ける学歴は、中学卒業のみ。その一文だけで評価される、寂しい社会で生きているのです。

 

蓋を開けてみてください。多くの人は、見合わない皮を被っていると気付きます。

 

医師という仕事は尊敬しますが、医師という人間を尊敬するかはまた別です。同じように、政治家という仕事は尊敬しても、人間的に尊敬できるかは別なのです。

 

私は肩書きより人として尊敬できる人に、自分が稼いだ税金を渡したいです。素直なバカの方が、上手くやれることもあるんですよ。

  

政治家に年齢制限を設けるのは、あながち悪くないと思う

 

わざわざテレビの前に出て、誰かやなにかをバッシングしている70代を見ると、それだけでこうはなりたくないと思ってしまいます。カチカチになった頭で自分より歳下の議員をボロクソ言う老人は、本当に寂しく見えるのです。

 

若干20歳で政治家になっても、いいと思うんですよ。若い子にしか見えない世界はあるし、それが大きく日本を発展させる可能性もあります。あまり世界を知らない人間の感じることは、貴重であり重要だと思うんですよね。

 

それと同じように、一定の年齢になったら政治家を辞めるべきです。

 

一生国のことだけを考え続ければ、視野が狭くなるのは当然です。ですが、政治にこそ広い視野が必要であり、狭い世界で話されては国民が困ります。脳みそは確実に衰えます、どんなに勉強ができてもどんなに偉大でも、脳みそも歳を取るのです。

 

それを肩書きと経歴だけで、権力にしがみつく老人の多いこと。惨めで、哀れです。

 

潔く、スタイリッシュに、華麗に、幕を引くことをオススメします。

 

ダサい歳の取り方は、過去の経歴もろとも食い尽くすので気を付けましょうね。プライドに食われる結果になるのが、一番恥ずかしいと思いますよ。

 

差別はしていない、区別してるだけ、その違いを理解して

 

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障がい者を差別するな!という掲示物を、いつだか見かけたことがあります。その時点で、自ら差別されにいってる気がしました。

 

誰も差別はしていません。ですが、区別はしています。仕方ないじゃないですか。全員が全員、同じことを同じようにできるわけではありません。個性がある以上、障がいがあるかどうかも関係なく、この世に区別は必要なのです。

 

障がいがあることを盾に健常者を叩く人がいますが、だからといって気を遣えば、バカにしてるのかと言うんですよ。ただのメンヘラかと思いたくなりますし、障がい抜きにして人として面倒臭いです。

 

私の叔父は生まれつき、下半身不随でした。いとこは耳が聞こえず、父は片眼を失明しています。障がい者に囲まれて生きてきましたが、だからなんですか?可哀想な人はこの世に腐るほどいるし、困ってる人は健常者にも溢れんばかりです。

 

それを差別だと言われたら関わるのも面倒くさくなるし、助けたいとも思わなくなります。健常者を差別してるのが、障がい者なんじゃ?と思うこともありますよ。

 

対等でいたいなら、まずは自分が対等でいてください。その上で、申し立ててもらえると話しが早くて助かります。可哀想と嘆くのは、海に向かって一人でやればいいんじゃないでしょうか。

 

政治家の老害も同じです。

 

老人を差別しているわけではありません。昔のことや経験を、否定するつもりもありません。ですが、今は今の時代の話をしているのであって、あなたの時代の話をしているのではないのです。

 

今の時代にあった物差しを持つことを覚えてください。あなたの時代の物差しでは、既に測れない時代になったのです。

 

その変化が受け入れられないのなら、家のテレビの前で、昔はああだったとかこうだったとか言ってればいいんですよ。わざわざテレビに出てくる必要はありません。どうぞひっそり、一視聴者として政治を楽しんでください。

 

差別はどの世界にも、どの社会にも、必要でないと思います。偏見や色眼鏡はほとんどの場合、本質を見抜けていない結果でしかありません。

 

ですが、区別は絶対に必要です。その人はその人以外に存在しないのだから、能力に違いがある以上、区別することが人のためになるのです。

 

その違いも分からずに、ただ叫ぶだけの人間は哀れです。それこそ自分で自分を差別しているわけですから、寂しいと思わないんですかね。

 

 2019年も好きに生きよう

 

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ということで、2018年も怒涛の1年間を過ごすことができました。やりたいと思えたことのほとんどはできましたし、思い残すことはありません。ただ、祖母と一緒に年を越せないことが少し寂しかったりします。

 

知り合いに、あまり言いたいことを言い過ぎると殺されるぞと言われました。殺される前に仕事がなくなりそうですが、それならそれでまた考えましょう。

 

27歳になっても、平成が終わっても、2019年になっても、私は変わりません。皆さんどうか、好きに生きましょう。

 

来年も何卒、宜しくお願い致します。

 

有難う御座いました。